●モーレツ電車「月光型」



 颯爽と登場した「月光型」。
 正面は貫通ドア付きになり、将来は行き先の異なる列車を連結したりする予定でしたが、結局かなり後年までこの扉が開けられることはありませんでした。
 模型はTomix製品です。


 「こだま型」に端を発した「電車特急」はスピードと快適さを誇り、上越線用161系、交直両用で交流60Hz対応の481系、同じく50Hz対応の483系と次々と発展形式が登場しました。また夜行列車には、固定編成客車の20系が続々と投入されていきます。
 
好景気に支えられ輸送の需要は増える一方で、車両の基地不足がだんだん問題になってきました。そこで従来は昼行用と夜行用で分けていた車種をひとつにまとめ、昼も夜も使える車両が出来ないか研究が始まりました。
 昼間の列車に使うのならもう「電車」は常識でしたが、寝台車については床下機器やモーターの騒音を考慮して静かな「客車」を使うのが常識でした。
 しかし、既に走っていた特急電車は当時の他の電車に比べればずっと静かでしたから問題は小さいと判断され、電車の寝台列車への起用は決定。世界にもまったく例のない「電車による寝台車」が登場することになりました。
 当初は「急行型」として構想が練られていましたが、こういった車両を投入できる条件を調査してみると、効率よく運用が出来るのは片道9時間〜10時間位の距離であることから、山陽、東北の特急列車への投入が次第に具体化していきました。
 こうして「寝台電車」の設計は昼にも夜にも特急にふさわしい内装を作ることに、問題がしぼられていきます。
 車内はボックス型の座席から寝台を作る「プルマン型」を基準に3段式寝台とされ、20系客車より幅の広い寝台になりました。座席使用時は一方方向を向く特急型とは異なり、大きくてゆったりした4人ボックスです。
 今でいうA寝台/グリーン車は設計がうまくまとまらなかったとのことで、後になって座席のグリーン車が作られています。
 1967(昭和42)年、苦心の設計をまとめて「寝台電車」は完成し、まず山陽本線に581系がデビュー、翌年には全線電化と複線化が完成した東北本線に583系がデビューして昼に夜にと活躍を始めました。583系は「3電源方式」といわれ、直流と交流50Hz、60Hzの3種類の電源に対応しています。
 寝台電車は最初に寝台特急「月光」(新大阪ー博多)に投入されたことから「月光型」といわれ、運用の効率化には大きな役割を果たします。
 特に山陽本線では新幹線接続特急としての役割が大きく打ち出され、新大阪で新幹線と接続して昼は山陽〜九州の各都市を結び、夜は九州直行の高速寝台列車として走り、昼夜にわたって高速列車体系を作るという、非常に斬新で効率的な形の運行を実現しました。


 「月光型」は昼に夜にと大活躍。
 新幹線の開業で名門特急「つばめ」の名は山陽本線の新幹線接続特急に引き継がれ、「月光型」も「つばめ」に使用された時期があります。
 模型では「つばめ」のはめ込み式マークがラインナップされていなかったため、「ペンギンモデル」というメーカーのシールを完成品のマークの上に貼り「つばめ」に仕立てましたが、大きさが微妙に違っていたりして難儀しました。


 こうして華々しくデビューした「月光型」でしたが、設備面での若干の無理は如何ともしがたいものがありました。
 特に昼間の乗客からは「4人ボックスでは特急らしくない」という声が聞かれましたし、自由席として使用する場合、付帯設備が多く座席定員が少ないことから昼行専用車に比べ混雑度が高いことも問題になりました。
 寝台も当初は20系よりはるかに快適と好評だったのですが、1974(昭和49)年に二段式B寝台をもつ24系25型客車が登場、普及してくると広幅とはいえ三段式の月光型は、客車に対して絶対優位ではなくなってきます。特に従来三段式だった客車の二段化改造が決定した際、月光型は「二段式にしたら(横幅は広いので)A寝台と変わらなくなってしまう」ということでそのまま存置されることになったのは、月光型にとって手痛かったといえます。
 新幹線の延伸や飛行機の台頭で夜行や長距離特急が減り、一時問題化していた「基地の不足」もマイナスの形で解消されてきました。
 こうして当初は大活躍したものの、設備面では座席としても寝台車としても中途半端な「月光型」は、だんだん余り始めます。特に西日本側ではその傾向が顕著でした。
 そして1984(昭和59)年、581系に何と普通列車用に改造されたものが登場します。715系電車です。


 「月光型」を改造して登場した普通列車用の715系。
 これは東北本線用のグループで、マイクロエース製品です。
 左の車両はもともと編成の中間に来る車両に運転台をつけ、先頭車に改造したものです。


 改造は引き続き行われ、九州を皮切りに北陸や東北の普通列車にも投入されていきました。
 しかし一部は「寝台電車」のまま、最後の活躍を見せています。
 外国にもこの様な車両が登場することはなかったため、一時「寝台電車」は過去のものに終わるかと思われていましたが、1997(平成9)年になって、ようやく後継車といえる「サンライズエクスプレス」が登場します。
 こちらは夜行列車の高速化が主たる目的であり、設備は個室が中心。昼夜兼用で定員重視だった「月光型」とは隔世の感があります。


 サンライズエクスプレス。
 KATO製品です。
 「月光型」と並べてみると、デザイン面で共通していることがわかります。
 正面貫通扉付き、という点も同じですが、「サンライズ」ではデビュー時から活用されています。


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