こころに浮かぶさまざまな想いを、言の葉に乗せて

こんにちは。月宮殿の管理人、空風輪です。
詩モドキやらコラムやら、趣味の話やら、
雑記帳となりそうな気配を漂わせつつ出発します。
お時間のあります方は、しばしおつきあいください。  
あなたの感じていることや感想などありましたら、掲示板へどうぞ。
「どこからでもドア」から入れます。



001:こころネットについて

こころネットはわたし、空風輪とY・K(アクアまりん)、森星也の3人による
共同運営サイトであり、わたしたちの共通の想いがベースになっている。
その“想い”はサイト全体を旅していただければ感じていただけるのでは
ないだろうか。
3人でつくるのは愉しかったし、こうして見知らぬあなたが読んでくれると思うと
さらに嬉しい。
このサイトをつくろうという考えは、実はかなり昔からあったのだが、
具体的なかたちをとりはじめたのは4、5年前になる。
阪神大震災のあと、陰惨な事件がいくつか起こって、なんとなく信じていた
平和な日常という神話が崩れはじめたころだった。
気がついたら、生命を、こころを、生きるという意味を考える機会が増えていた。
3人ともそうだった。
わたしたちは精神科の医師でも宗教家でもない(ひとりはわりに近い位置にいる)
けれど、平凡なタダの人であっても、3人集まりゃ文殊の智慧というではないか。
なんとかなるべ、という恐ろしいほどの楽観的性格をテコに立ち上げたのがこれだ。
人がこころを失いつつあるこの時代に、こころのリンクを広げたらどうなるだろうか。
面白し、とささやく声にのせられて、つくってしまったよ。さて、どうなることやら。



002:こころの花

「花」という曲がある。嘉納昌吉さんという沖縄のシンガーソングライターの曲で、
好きな人も多いだろう。
わたしも好きだ。やさしくて、力強くて、こころが洗われるような気がする。
この曲を口ずさむたび自分に、最近本気で笑っているか、泣いているかと問いかける。
いい意味でも悪い意味でも、こころから喜怒哀楽を人は表現しなくなって
きているのではないか。
昔勤めていた会社に、怒れないという人がいた。怒り方を知らないのだと、
その人はいった。
たしかに、その人が怒ったときは、ただ子どもがすねているような、
むっとした顔をするだけであった。
逆に喜怒哀楽が激しすぎる人もいた。
けれど剥き出しの感情をぶつけながら、こころは閉ざされたままだった。
自由であれ、とわたしは祈る。
自由であれ。しがらみから、執着から、ちっぽけなプライドから自由であれ。
こころを開放しよう。
こころから笑って、怒って、自分にも他人にも、「肯」と頷こう。受け入れよう。
受け入れられよう。
簡単で、シンプルなことだ。でもできないから、わたしたちはここにいる。



003:美し国、美し人

わたしは日本という美しい地が好きだ。
その美を造作する四季が好きだ。四季折々の自然の裡に座ます神々を
和歌や作物でもてなす、おだやかでありながら毅然とした美しい祈りの
こころが好きだ。
昔のことを日本人はずいぶん忘れてしまったように思える。
形骸化した祭(祀り)は、自分たちのための喜びで埋められ、
願いはむなしく空を叩く。
食うや食わずの苦しい生活から使い捨ての豊かな生活に転換した代わりに、
美しい言葉が語られなくなり、美しかった地はバブルのはじけた醜い傷跡をさらす。
経済がこの国の人々を狂わせたのだろうか。
戦争が日本的霊性の記憶を消したのだろうか。
伝統の技術や文化のいくつかはわたしたちの手から失われつつある。
それでも、とわたしは思う。
わたしたちはいくぶん愚かにはなったが、そのこころの深奥にはやはり美しい日本が
息づいているのだと。
したたかにたくましく、「もののあはれ」を知る日本の美し人とともに。



004:子どもが子どもを殺す時代に

こころネット構想が具体的にはじまったとき、神戸の14歳(当時)が
子どもを惨殺する事件があった。
そのときわたしたちは皆一様にショックを受けたのだけれど、
いま、サイトを立ち上げたこの瞬間、
長崎の12歳が幼児を惨殺する事件が起こって再び衝撃を受けている。
殺人という事件は、なぜこんなに簡単なニュースになってしまったのだろう。
早熟な身体と未熟な精神のアンバランスな葛藤がわたしたちには見えない。
親が子を殺し
子が親を殺し
夫婦で殺しあい
子ども同士で殺しあう。
金が殺し、情が殺し、狂信が殺す。
「むしゃくしゃして」誰かを傷つける通り魔事件が多発しても
「あんなのは狂ってるんだから」で、すませることができるのだろうか。
一見健常な精神状態の子どもでも(成人も)、
こころのなかに爆弾を抱えている場合がある。
それが時限爆弾なのか、不発弾になるかは、その後の成長のしかた次第だと
いえまいか。
親や教師など周囲の人にできることもあるだろうが、最後は結局自分の力が
必要になる。
だから「生きる力」=強いこころを育てることが、とても大切だと思うがどうだろうか。
しなやかで、バランスのとれた強靭なこころをもつことができれば、なにがあっても、
こころのブラックボックスは開きはしないのだ。



005:能楽日記

シリアスな話が続いたので、気分転換に趣味の話など。
能楽に恋してもう長い。とくに囃子と舞いの部分が好きで、
見るだけでは飽き足らなくなって某能楽師に仕舞を習いはじめた。
いいものを見るとすぐ「ワシもワシも」とじたばたするのは
3つの頃から変わっていない。
あるとき感動的な舞いを見て、「ワシもワシも」と、まったく根拠のない自信にあふれ、
入門したのだった。
そして3カ月と経たないのに舞台で舞っていた。上手だったからではない。
単に素人弟子たちの年に一度の発表会の3カ月前に入門したからなのだが、
摺り足(能ではハコビといいます)もろくにできない生徒を、
お愛想とはいえ本物の檜舞台にあげるいい加減…いや、熱心さにはびっくりした。
仕舞というのは、能のなかの見どころ(大抵はラストの盛りあがり部分が多い)を、
通常ひとりのシテと呼ばれる舞い手と、3〜4人の地謡で構成して演じられる。
装束はつけず、紋付袴姿で行われるものだ。
素人の稽古会(発表会)では、地謡方は師匠と援軍のプロの能楽師が担い、
シテを生徒が演じる。
発表会のこの日ばかりは、生徒が主役の日である。
同時に師である先生は(それが若い能楽師であるほど)気が気ではなくなる。
そりゃそうだろう、生徒が舞台のまんなかで棒立ちになっちゃったら、
あとは先生の責任である。
流派によって対処は違うかもしれないが、当流の師いわく、声をかけるか、
すっくと立って一緒に舞ってあげなくてはならないそうだ。
みっともないけど、地謡は舞台上でなにが起ころうと、粛々と最後まで
謡い続けるから、生徒も演じきらなくてはならないのだ。
出番が回ってきて、「落ちついてねっ」と切り戸口でわたしに声をかけた
師の引きつった顔を見て、いちばん不安なのは先生なんだろうなぁ、
とのんきに考えていた。 (その不安の最大原因だったかもしれないのに)
舞台そのものは心底愉しくできた。
こんなに愉しかったのは生まれてはじめてかもしれない。
老松を背に、神聖な舞台でひとり舞うことの嬉しさよ。
技術なんかない。あたりまえだ。はじめて3カ月だ。
謡いに合わなくなる心配もしない。
先生がたがちゃんと合わせてくれるのが、生演奏?のいいところ。
自分でもいちばん驚いたのは、能舞台に立った瞬間、自分の空間だと感じたこと。
楽に呼吸ができて、馴染んで、ずっと舞い続けていたかった。
そうだ。わたしは、わたしの魂が広がる空間を発見したのだ。
能舞台というとんでもないところに。
もちろんあなたはご存知ないだろうが、これはわたしの人生において
画期的な出来事だった。
というのも、わたしは大勢の人前では非常にあがりやすい子どもだったからだ。
いくつかの稽古事で、小学生のわたしは発表会のたびにあがってしまい、
身体が硬直してひどい失敗を繰り返していた。
舞台に立って会場を埋め尽くした人の視線を受けると、恐怖感で気を失いかけた。
では大人になって図太くなったのか。
それもあるかもしれない。ただ、もうひとつわたしは稽古事をしており、
こちらは武道だが、やはり審査や演武会など人前で発表する機会がある。
練習ではなんでもなくできる技も、人前だといきなり痴呆状態に陥り、
「右だ左だばかやろう」の先生の怒号とともに終了することが多いのだから、
やっぱり本番に弱いのは直ってないと思うんだけどね。
というわけで、基本形の型すら満足にできないくせに、気持ちだけは名人という
不届きな素人弟子は今年も舞台に向けて稽古に励むのであった…



006:マージナル・マンの唄

すでに過ぎ去ってしまった日々の
ほんの少しのロマンに酔って
あの頃はよかったと錯覚を起している
若い老人たち
広がりゆく未来へ目を向けず
通常をあざ笑う
子どもと大人の マージナル・マンの唄



007:そんなもんです

詩「マージナル・マンの唄」は16歳のときに書いた作品です。
じじむさいというか、暗い子だったんだ(笑)。
当時は詩と小説とマンガを書くことで1日の自由時間(睡眠時間含む)の
ほとんどをつかっていた。
むろん親には受験勉強をしていると思わせていた。
そういう小手技はアタシほんとにうまかったの。
睡眠は2時間かかる通学時間帯にとっていた。
ラジオや詩の雑誌に詩や文章を投稿して、それが放送されたり掲載されるのが
面白くてしかたなかった。
幾星霜を経て、あの頃のバイタリティはもはや、ない。
その代わり、少ないエネルギーで効率的にエンジンを回す省エネ労働技術は
発達したかな。
しかし、この詩を書いていたころのわたしのほうが、いまのわたしより
ずっと大人びていた(若い老人だった)のはなぜだ?



008:低空飛行

ま、生きてる間はいろいろあるわけで、元気なときもあれば、
へこむときだってある(@森星也)。
で、どういうわけか、こころがへこむと身体まで具合が悪くなってくるから不思議だ。
もちろんその逆もある。
身体に激しい苦痛を感じているときに元気で笑っていられるわきゃーない。
ホリスティック医学の考え方からすれば、心身は相互影響しあうものだから、
心身双方を同時に治療していく必要があるんだけど。
そうそう、自然治癒力を高めるホリスティック医学については、
ここでわたしが薀蓄たれるより、専門家の医師Y先生にそのうちご登場いただいて、
正確な講釈をいただこうと思っている。
そんな重篤な病気や大きな事件・事故に見舞われたなどという
深刻な場合をのぞいて、いわゆるウツーな気分ってあるよね。
元気なときは問題ないのだけど、落ちこむような出来事がおこったときの
過ごし方ってけっこう大事なんだろうな。
あれこれ考えて、考えすぎて、ループする思考の罠につかまってる人。
逃避手段として酒や食べ物にいく人、不機嫌に親や子やペットにあたりちらす人。
自分の内にひきこもる人。
さまざまだけど、たしかに感情が低空飛行しているときの
自分をコントロールするのは、なかなか難しいよね。
好きな食べ物も味がしなくなるし、好きな作家の本も文字が模様に
見えてくるんだから。
大切なのはあせらないことだ。
自分を責めても自分の状態はよくならないし、他人を責めても状況は変わらない。
ひとりで裁判をやっちゃいけない。わかるだろ? 判決はいつも自分に不利なんだ。
こころが低空飛行のときは浮力を保つだけで、とりあえずはよしとしようや。
うつ状態が強くなると、行動することさえ苦しくなる。
そんな重度のうつ状態のときは、専門医の手が必要だけれど、そこまでいかない
(と自己判断できる)場合は、あせらず低空飛行のまま、
ゆっくりとこころに栄養補給をしていけばいい。
軽度神経症(ノイローゼ)や抑鬱状態の見極め方や、対処のしかたについては、
「Q&A うつ病」(法研)とか適切な本がたくさん出ているから、
それらを参考にすることもできる。
誰か親しい人に相談するのもいい。
自分の気持ちを話すと、とても楽になるものだから。
それがあなたの親友や恋人なら、きっと一生懸命聞いてくれるだろう。
周りに誰もいなければ、こころネットのどこかの掲示板で語ってくれてもいいんだよ。



 
009:時節柄お盆がテーマの詩をひとつ。暗いよん

飛んで火に入る夏の虫
盆の祭に浮かれたか
五分の魂 どこいった
あの世へ旅する恋人の
足元照らす ホタルになあれ



010:泥身火魂(でいしんかこん)

大学を出たばかりの、新米社員だった頃の話。
やる気十分の駆け出しが、先輩社員にこきつかわれて
朝から晩まで走りまわっていた。
食事をとるひまもなく、社に戻ってきたと思ったら、別の用事をいいつけられて、
また出かける毎日が続く。
数カ月経つと体は慣れてくる代わりに、こころが萎えてくるという典型的な
五月病が新米にも現れた。
それでも自分の望んだ職種であり、仕事が好きだったから
「石の上にも3年」の気持ちでがんばろうと思っていた。
1年経っても事情はあまり変わらず、自分のセクションの仕事も増えたものの、
今度は社内の人間関係で疲れはじめていた。
そのうち、こんな会社で自分のやりたいことが本当にできるのだろうかと
自問するようになった。
夢見ていたさまざまなことが、少しずつ離れていくような気がした。
そんなある日、仕事でひとりの絵馬師と出会った。
話が弾み、話好きな職人さんでよかったと思ったが、なんのことはない、
絵馬師が聞き上手だったのだ。
しゃべっていたのは自分ばかりだった。
そのうち、絵馬師はまだ何も書いていない絵馬をひとつ取ると、
さらさらと筆を走らせて「ほい、あげるよ」と渡した。
「泥身火魂」と太くはねるような文字が絵馬いっぱいに広がっている。
意味がわからずぼんやり見返すと、彼はいった。
「仕事はいろんな苦労とともにあるもんだ。つらいときもあるし、喜びもある。
でも泥の中を這いずり回っていたって、つねにこころが火のように熱く燃えていれば、
大丈夫さ。
乗り越えられるものだよ」そういって照れ隠しに笑ってみせた。
その後、現在に至るまで苦しくつらい時期をなんども経験したが、
このときもらった絵馬がこころの支えになったことはいうまでもない。
デイシンカコン、デイシンカコンと、呪文のように口の中で繰りかえし唱え、
自分に逃げるなと言い聞かせつづけた20代だった。 

トップページへもどる
直線上に配置