映画「タイタニック」を見て
世間よりかなり遅れて「タイタニック」を見た。オスカー賞11部門総ナメ。興行収益16億ドル。日本では昨年12月に183億円突破!はっきり言ってこの数字は映画史上、異常です、驚異的です。日本でもこの映画のことを知らない人はいないだろうし、多くの人が繰り返し映画館に足を運んだという。そして必ずと言っていいほどこの映画は「感動」「涙」という言葉を用いて語られる。
正直言ってこの映画を見るのは気が進まなかった。何故なら「タイタニック」というタイトル。あのタイタニック号事件を題材にしているなら「悲劇的結末」でお涙頂戴のパターンなんだろうなあ・・という気がしていたからだ。しかも、これだけ話題になれば嫌が応にも内容が耳に入ってくる。
結果は予想通りだった。まあ、なんていうんでしょう・・・いわゆる「フランダースの犬」パターンですね。気になった点は不自然なところが結構あったこと。映像が綺麗なんだけど、やけに不自然な綺麗さだっだ。ローズ(ヒロインの名前ね)の化粧がいつまでたっても崩れないとか、ドレスがずっと真っ白とか、水が室内に流れこんだとき何も浮いていないしやけにキレイだということとか、沈みかけの船がヤケに明るく、照明元のないはずのところから照明があたっているとか・・・etc。私としてはローズの化粧が崩れて、ドレスもボロボロになった方が必死に逃げてる感じがいていいと思うんだけどなあ。まあ、俳優も美男美女だし、セットはメチャ豪華だし、音楽も良くできている。凄いのは凄いんだけども、別に「感動」もしなかったし「涙」も出なかった。苦手なんです。誰かが死んだりして、「ああ、かわいそう」って同情して泣くのは。例え、それで泣いたとしてもそれは「感動」とはいわない。
「クソゲー」の所でもそうだったが、世間のギャルゲーマー達(女の子の登場するゲームが好きな人達のことね)がこぞって「涙した」とか「感動した」とかいう「To Heart」でも私は「感動」もしなかった、「涙」も出なかった。「To Heart」でも「タイタニック」でも涙したという友人は私に対して「無感動な人間やなあ」という。私でも感動することはある。
例えば、キックボクサーの青葉繁の復帰戦。彼は因縁のチャンピオン新田明臣との試合中に1ラウンドにアキレス腱を断裂。相手選手は「勝った気がしない、復帰してくるまでいつまでも待つ」と言った。そして新田は青葉が復帰するまで1年半チャンピオンベルトを巻き続けた。そしてこの二人は再び対戦。青葉は「これはあの試合の第2ラウンド」と言っていた。結果は青葉の圧勝に終わった・・・。このことを話しだしたら、とーーーっても長くなるので、詳しくはその辺の格闘好きの兄ちゃんにでも聞いて下さい。
「感動」というのは誰かに同情するということではなくて、「人が強く生きたとき」「何かを克服して人間が成長したこと」を見届けたときに、そして、「自分もそう生きることが出来たとき」のためにとっておきたい・・そんだけ。
「タイタニック」のジャックとローズの間には身分の違いがあったとはいえ、二人の世界が出来上がっていて、超えなくてはならない壁があるようにも見えなかった。もう勝手にやってって感じで。ジャックを失ったローズが悲しみを克服していく、その後の生き方の部分にもっと焦点が当てられていればもうちょい感動できたかもね。
−−追記−−
別に売れたもの、人気のあるものをけなすのが、好きという訳ではありません。この映画で泣いた人には申し訳ありませんが、ただ純粋になんか納得いかんなあと思うことが、タイタニックを見てふと頭をよぎりました。
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