予備校で学んだこと


実は私は大学受験で一度失敗している。1年間、浪人というものをしていた。
大学落ちたときは凄くブルーな気分だった。あのときは先に大学に受かった
友人達の開放的な笑顔がどれだけうらめしかったものか。

予備校といっても私が住んでいたところはド田舎だ。下関の下関ゼミナールか
小郡にある北九州予備校の2つしかない。とりあえず下関よりは近いという理由で
北九州予備校に通うことになった。この予備校は凄い!何が凄いかっていうと、
まず出席チェックの厳しさ!
出席が確認できなかったら即親に電話がかかって
くるのだ
。おまけに近所のパチンコ屋やゲームセンターなどで予備校の先生が
見張っていて
、サボっている学生を見つけると無理矢理連れてかえるか、親に
連絡を入れるのである。しかも
全ての自習室には監視カメラがついていて常に
監視されている!!。

しかし、もっと驚異的なのは大半の学生がサボるということをせず、自主的に
授業に出席していたということだ。とにかくそういう雰囲気なのである。

年間平均出席率は99.7%!!(当時)
。その1年程前には「予備校ブギ」という
ドラマが流行っていて、予備校でもそれなりに大学生みたいにコンパとか
あるんかなーとか思っていたら、とんでもない!。

私はそれまでの自分が恥ずかしかった。誰かが受験前に風邪をひいたら
「へへっ!ライバルが一人減ったぜ」とか思っていたし、勉強サボっていても
「まあ、偏差値は足りてる」とだらけていたし、受験に失敗しても「ベビーブームに
生まれたから倍率高いし、仕方ないやん」とか「浪人は必然的にでるもんやから
仕方ないやん」とか自分を正当化することしか考えていなかった。
不安な自分を
安心させるため。


そんな私が予備校で見た光景は壮絶だった。みんな必死で頑張っていた。
朝から晩まで勉強している。自分より偏差値が低い奴でもそうだった。そのとき
思った。
偏差値以前にこんなに必死で頑張っている奴等にこんな自分がかなう訳
ないやんか
・・・と。

18歳19歳というと遊びたい盛り。ゴールデンウィークに帰省している友人に会うと
一人暮らしの自由を満喫し、彼女つくってデートして、楽しいキャンパスライフを
送っているということだった。また別の友人は既に就職し、自立して生活していた。
凄く自分が情け無くって悔しくって、友人達が羨ましかった。

学生といっても予備校生。将来の学歴に残るものでもなんでもないし、就職の役に
立つ訳でもない。何か技能が身につくわけでもない。浪人だからバイト=勉強を
サボるということになる訳で、バイトもできない。したがって親から小遣いをもらって、
親に食わせて貰わなくてはならない。
社会的身分は幼稚園児と大差はない。
大学に進学した友人に対するコンプレックスもあって、
自分のどこにプライドを
見出せばよいのか、どうやって不安を打ち消したら良いのか全くわからなかった。

悩んだ末に決めたのは
「とにかく全力をつくそう」ということからだった。まずは
形から入る!。

その1、一番最初に登校する】

予備校は7時30に門が開くが、私は7時20分には門の前で待ち構えていた。
家から電車で40分以上かかるので朝6時半には家を出なくてはならなかった。電車に
乗っている間ももちろん勉強。タイムカードは一番最初に押す。門が開いたらダッシュを
かますのである。うまくいけばタイムカードは7時29分になっている。全部7時29分で
そろえるのが目標だった。なんか、目標が既にあさっての方に向かっているが・・・・・。
もちろんその後には教室に向かってダッシュ!一番最初に教室に入るのだ!
しかし!、しかしだ!けしからんことに
次第に真似をする奴等が現れはじめたのだ!
いつの日か早朝、予備校の前には人だかりが出来て、
学生どもが一斉に教室に
向かってダッシュをかます壮絶な光景
が毎日見られるようになっていた・・・・・・・・。

【その2、一番最後に下校する

これもただの自己満足かもしれないが、最終講の自習時間が終わっても、
ドヴォルザークの四季が流れていようとも、掃除のおじさんが現れようとも、自分が
教室で最後の一人となるまで自習をやめない。自分が最後になったら荷物をまとめて
帰宅の準備をする。これも誠にけしからんことに真似をするやつが現れはじめて
しまった。しまいには
皆意地になって帰らないので掃除のおじさんが困っていた。
こうして毎日最終列車に危うく乗り遅れそうになりながら帰宅していた。田舎なので
最終列車は10時代なのだ。
帰りの電車でももちろん勉強。帰宅したら11時過ぎ、それから飯くって風呂入って
寝る!起床は6時前。寝てる時以外はほとんど勉強。そんなに勉強して楽しいの?
って思う人もいるかもしれないが、
凄く楽しかった。過去のだらけた自分と決別
できたし、とにかく自分は頑張っているということが、自信やプライドに繋がった。
だから
勉強すればするほど精神的に楽になったものである。授業も高校の時とは
比べられないくらい楽しい上に質が高かった。チューターの方々も本当に親身に
なって進路相談に応じてくれたし、受け付けのお姉さんは美人だった。これは
関係ないか。

おかげで現役時、2科目のみで偏差値40ちょっとだったのが、夏前には3科目で
偏差値70近くにもなっていた。それまで私は私大の日東駒専コースだったのが
無試験、無条件で早慶上智コースに転籍されられていた。私の人生での数少ない
自慢の一つ。偏差値が高かったことではなく、
それまでの過程が。この時点で私の
人生観はすごく変化していた。別に偏差値の結果がだせなくても、それが自分が
精いっぱい頑張った結果だから。こんな当たり前のことを知るまでに随分と時間が
かたったものである。いつの日か私は予備校の皆に対しても「頑張れー!」という
気持ちでいっぱいだった。もう「へへっライバルが減ったぜ」なんて思わなくなっていた。

とにかく自分が信じられなくなったら、プライドが持てなくなったら、とりあえず死ぬ気
で一生懸命になってみることからはじめよう。1年皆より後れてしまったが、あのまま、
現役でどこかの大学に滑り込んでいたらきっと私はトンデモない大人になっていたに
違いないだろう。

誰や!そこで「今でも十分トンデモない」と言った奴っ!
追伸
大学に進学してから何度か予備校でバイトしたが、結構サボっている奴はいた。今のウチの近所にも予備校があるがゲーセンとかにサボり中の予備校生と思しき連中が結構いる。やっぱ山口の北九州予備校が特別だったんかな?。
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