韓国旅行記:ヨン様の国,ソウル・木浦・珍島・光州・麗水・晋州・統営・鎮海・釜山の歩き方

本に掲載している写真をご紹介します。
それぞれの写真をクリックすると大きく表示されます。

9.釜山と鎮海
成田からソウルに入り、ソウルから南下して木浦、珍島、光州、麗水、晋州、統営、釜山、鎮海へ行く
本に出てくる写真 本の文章 撮影者
写真
帝皇山公園の山頂は、直径一〇〇メートルくらいの円形の平面になっており、平らでよく手入れされていた。
山頂の平地のちょうど中央に、三階建ての博物館とその上に乗っかっている五階建ての四角い小型の塔から成る合計八階建ての建造物がデンと立っていた。【写真(帝皇山山頂建造物)】

私はその建造物の中へ入って行った。訪問者は誰もいなくて私一人であった。

入場料は無料で、受付の人はいなくて静かであった。また、主として海軍に関係する物を展示している博物館は、掃除が行き届いており清潔で奇麗であった。

最上階の八階までエレベータで登った。八階からは、眼下に三六〇度のパノラマが広がった。少し靄(もや)がかかっているものの青い空の下に、北西には鎮海駅、西にはすぐ眼下の中園ロータリと遠くの軍港、南一帯には海や小島、それらすべての背後に広がっている緑の山々を見渡せて美しい。
軍港がある方角には、誰でも気付く位置に写真撮影禁止の大きな警告表示があった。軍港には、軍艦が二隻停泊しているのが見えた。(後で気付いたことであるが、この後もらった鎮海市発行の鎮海観光案内パンフレットには、摩訶不思議なことに、帝皇山山頂から軍港方面を堂々と撮影した、つまり絶対丸秘の角度から撮った写真が出ていた。)

03年07月31日

松尾波笑
写真
登って来た石段を降りて行った。石段を降り切った所で左に折れて真っ直ぐ歩くと市庁(鎮海市役所)に着いた、そこで引き返し気味に北側へ進むと中園ロータリに出た。中園ロータリから東の方向に帝皇山山頂に立つ鎮海塔が見えた。
また、ロータリの真中に設置されている時計台を見ていると、向かい側に銀行が見えた。【写真(中園ロータリから見た帝皇山)】

03年07月31日

松尾波笑
写真
《海雲台海水浴場》
海水浴場に着いた途端に度肝を抜かれた。海が見えた途端に、ものすごい数のカラフルなパラソルとものすごい数の人が、目に飛び込んできた。遠くの海を見ると、正面に五六島が小さく見えている。【写真(海雲台海水浴場)】

砂浜に、様々な格好と状態でいる老若男女の人混みを通り過ぎて波打ち際まで行き、手を海水に漬けてから指をなめてみた。塩辛い海水の味がした。
私がゆっくり砂浜を歩いている時、下を向いてまま歩いて来た、ゴムボートを持った水着のアガシがドンとぶつかってきた。濡れた体やゴムボートに付いていた塩水が私の半ズボンにかかった。彼女は何も言わず足早に通り過ぎた。

03年07月31日

松尾波笑
写真
右手に見えている、つまり海水浴場の西にあるウエスティン朝鮮ビーチホテルへ行くことにした。【写真(海雲台海水浴場から見たウエスティン朝鮮ビーチホテル)】

ホテルへは、砂浜の岡側にあるコンクリートの歩道を東から西へ歩いて行った。歩道の周囲には、楽器を持ち出して歌っているダンディな服装の老人集団、飲料水や食べ物を売っている人、何もしないでじっとまわりを見ているだけの人など様々な人がいた。左手の砂浜には行けども行けども、人の群れが続いていた。

《ウエスティン朝鮮ビーチホテル》
ウエスティン朝鮮ビーチホテルの海水浴場側入り口から、一八年ぶりに中へ入った。忘れっぽい私の、一八年前の記憶など残っているはずはないが、ホテルの内装が以前に比べて古びて見えた。二階、三階に行くと高級レストランがあり、これらのフロアから真正面に海雲台海水浴場がよく見えた。

一九八五年の大晦日に、このウエスティン朝鮮ビーチホテルに宿泊した。。それは、家族四人揃って、その当時はまだ絶大なる人気のあった日本のNHK紅白歌合戦のテレビ放送を見るためであった。
商社勤務の知人であるAさん家族も紅白歌合戦を見るために、わざわざこのホテルに宿泊した。とにかく韓国における駐在員家族は、当時は衛星放送がなく日本のテレビ番組に飢えていたのである。

紅白歌合戦の放送は、予定どおり始まったものの途中で中断した。同じ目的でこのホテルに泊まっていた日本人家族はみんな、早くテレビ放送を再開するようにホテル従業員に抗議した。それに対して、ホテルの従業員は、機械が壊れたとか放送電波が悪くなったとかいって事情を説明したというか、言い訳をした。その後、放送中断と正常復帰を繰り返し、結局紅白歌合戦を見れたのは番組全体の五〇%くらいであった。

・・・・・・テレビ放送が中断したのは、本当に設備の不具合によるものか、それとも韓国政府当局から日本語の放送をしないように横槍が入ったのか、それともまったく別の理由なのか、今もって真実を知らない。ただ、立派な一流ホテルのテレビ設備が、技術的・物理的な理由で何度も故障を繰り返すのは考えにくいことである。

03年07月31日

松尾波笑
写真
近くにいた二人組みのアジシに聞いたところ、この釜山駅付近には高い建物が密集しており、歩いて海に近づくことはできないが、地下鉄の次の駅である中央洞駅からであれば海に行けると言った。
私は地下鉄に乗り中央洞駅で下車して、そこで地上に出て、ひたすら海を目指して道らしくない道を歩き続けた。途中で、通りがかりの人に、国際フェリーターミナルはどちらですかと聞きながら港を目指した。

《釜山港 : 国際フェリーターミナル》
やがて陸橋の上に出ると、突然、海が視界に入ると同時に関釜フェリーと英語で書かれた船体が目に入った。白い大きな船であった。船体にひらがなで小さく『はまゆう』と書かれていた。あれが関釜フェリーなのだ、今夜ここを出発して下関に向かうのであろうか。【写真(停泊している関釜フェリー)】

03年07月31日

松尾波笑
写真
《地下鉄の南浦洞駅》
南浦洞駅から五分ほど歩くと、龍頭山公園へ行く階段があり、何と驚いたことにエスカレータが設置されているではないか。(一八年前に家族と一緒に来たときは、もちろんエスカレータは無かった。)
エスカレータに乗り、ほぼ龍頭山公園の頂上近くまで一気に登った。エスカレータから降りて、少し行くと頂上の公園広場に出た。そこで、公園広場の丸い花時計、救国の英雄である李舜臣像、釜山タワーを写真に撮った。釜山タワーが夕暮れの中に、明るくぼんやり浮き上がって美しい。【写真(夕暮れ時の釜山タワー)】

《釜山タワー》
すこしづつ暗くなり、釜山タワーから果たして五六島が見えるかどうか心配になってきた。急いで、釜山タワーのエレベータ乗り場へ行き上に登った。

03年07月31日

松尾波笑
写真
儒教の教えの影響か、韓国ではとにかくより年を取った者が年長者として威張れるのである。これは女性の場合にも言えることであり、その例を紹介させていただく。

《●一つ年上は大先輩》
韓国では、一歳でも年長であれば先輩として君臨できるのため、先輩か同輩か後輩かは彼等にとって大問題なのである。
若い女性の間ではオンニ(お姉さん)という言葉がよく使われる。相手が一歳年上であろうと二歳年上であろうと、年下の女性は年上の女性を呼ぶとき、好むと好まらざるにかかわらずオンニと呼ばなければならない。オンニと言って呼びかける時、好むと好まざるにかかわらず年長者に対する尊敬と畏敬の念を込めなければならない。ということでみんな年長者になりたいのである。
とにかくちょっと耳を澄ませば誰でも、会社における女性社員同士や飲食店における女性店員同士の会話において「オンニ」という言葉が頻繁に飛び交うことに気付くのである。

さて最近でも年下の女性は年上の女性を義理堅くオンニ、オンニと呼んでいるのであろうか?

03年08月01日

松尾波笑
写真
墓の上部エリアから下の方へ降りて行った。上部エリアから見て、右手にはカナダ、左手にはイギリスの墓プレート(墓標)が埋められていたが、カナダの墓標が多いのを意外に思った。
墓地の下部エリアに立ち止まり、上の方や全体を見渡してみた。この墓地に二三〇〇個もの多くの墓標が本当にあるのだろうかと思った。【写真(UN墓地の下部から上部を見た風景)】

03年08月01日

松尾波笑


韓国の奥の細道の表紙に戻る