韓国旅行記:ヨン様の国,ソウル・木浦・珍島・光州・麗水・晋州・統営・鎮海・釜山の歩き方

本に掲載している写真をご紹介します。
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2.ソウルとの再会、そしてソウルから木浦へ
成田からソウルに入り、ソウルから南下して木浦、珍島、光州、麗水、晋州、統営、釜山、鎮海へ行く
本に出てくる写真 本の文章 撮影者
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リムジンバスは、ひたすら走りつづけ、ソウル市内を流れる大きな川、漢江を渡ってまもなく、一四:〇〇分にソウル駅に到着した。【写真(ソウル駅正面入り口)】
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ソウル駅前広場近くに停車したリムジンバスを降りるとソウル駅の建物が見えた。かってソウル駐在中は毎朝通勤中にこのソウル駅を見たものである。
日本統治時代に東京駅と同じ時代に建てられた、東京駅に似た赤レンガ色のソウル駅を見るとなぜだかほっとした記憶がある。 それにしても今日のこの混雑振りはすごい。学校が夏休みに入って最初の土曜日のせいであろうか、ソウル駅周辺にあるバス停付近はものすごい人込みだ。
03年07月26日

松尾波笑
写真
まず、ソウル駅からすぐ近くの南大門を目指して歩いた。もちろん、かの有名な南大門とも一四年ぶりのご対面であるが、昔と同じ姿をしていた。同じ姿であろうと、久しぶりに対面すればなつかしいのに変わりはない。【写真(南大門)】

南大門の屋根の一番上の部分が、全体にわたりコンクリートで補強をされているのが白く見える。この部分は、私が昔駐在していたころ、突然(外国人は新聞を読んでいないため日頃の情報に疎く、私にとって突然なのは当然であるが)補強されたものである。
私が勤務していた合弁会社の現地社員と一緒に、たまたまこの南大門を車で通り過ぎたことがあり、その時、日本語がうまくない彼がカタコトの日本語で、『関係者は頭が悪いから、コンクリートなんかを塗ってしまった。馬鹿なこった!』という意味のことを、強くはき捨てるように言ったのを思い出した。その時、私も全く同様な気持ちであった。
03年07月26日

松尾波笑
●立つ鳥跡を濁す


●気性の激しい女性
この女性三人組みは肝っ玉が大きく穏やかで鷹揚な印象を受けたが、私は昔、韓国女性の気性の火のような激しさを垣間見たことがある。それは、私の引越しでの出来事であった。

《●立つ鳥跡を濁す》
私は、韓国に住んでいる時に、最初の入居を含めると引越しを三回経験した。一九八四年の最初の入居の時、これから自分が入るマンションの部屋を見に行ってその汚さに驚いたものであった。カーペットはめくれ、オンドル部屋の上を人が土足で歩き回り、部屋の中は汚さ一杯であった。先住民は、跡を濁すだけ濁して立ち去ったためである。後で分かったのであるが、これが韓国の習慣であった。
こちらのルールでは、出て行く者に責任はなく、これから入居する側が自分で住む家のめんどうをすべてみるのが当然なのである。日本のように、部屋を出て行く時、できるだけ奇麗にしていくなどという発想は全くない。


《●気性の激しい女性》
前項で述べた最初の入居の際、私は、不動産屋が指定した時間に総務担当の現地社員と一緒に入居予定のマンションを見に行った。私は、行けばすぐにマンションのキーを受け取り奇麗な部屋を使えると考えていたが、それは大間違いであった。
その時、マンションには不動産屋とその他に四組ぐらいの人が、私が借りる予定の部屋の中と部屋の外の通路に集合して立っていた。私は、韓国に来たばかりで言葉が分からないため、話をしている四組の関係や何が起こっているのか全く分からなかった。
そのうち、四組の間で激しい口論とののしり合いが始まった。後日、韓国駐在歴の長い日本人に聞いたところ、それは部屋のオーナーと部屋を借りている人達だろうということであった。
彼の推察によると、四組の内訳は、部屋のオーナーと最初に部屋を借りた人、最初に部屋を借りた人から部屋を借りた二番目の人、二番目の人から部屋を借りた三番目の人である。要は、部屋を借りた人は平気でピンはねして、他人にまた貸しをするそうである。私が今回入居契約を結ぶことになり、また貸し連中の間で問題点が発生したようであった。
私と総務担当現地社員は、傍らで四人組みの成り行きを見守っていた。ある瞬間、三十才くらいのアジュマが、大声を上げながら、外の通路を五メートルくらい全力疾走して加速し、立っていたアジシにラグビー戦かと感違いするくらいの迫力で体当たりした。体をぶつけ合ったアジュマとアジシは顔と顔を接近させて激論を続けた。その間、さすがにアジシは女性に対して手を上げることは無かった。
私が、総務担当現地社員に、何をしているのですかと日本語で聞くと、彼は言いたくなかったのであろう、苦笑いしながら黙っていた。・・・・・・一時間後だったか二時間後だったか、とにかく問題は決着し私は、部屋のキーをもらった。たぶん、体当たりを食らわせたアジュマからキーをもらったように思う。
私は、この体当たりを食らわせた、まだまだ若くて奇麗な子持ちのアジュマの迫力と気合に驚いた。普通の日本女性では決してかなわない迫力であった。もっとも、その後五年間の韓国滞在生活の中でこのような場面に出くわしたことはなかったため、これは韓国においても例外的な出来事であったのだろう。
03年07月26日

松尾波笑


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