●「客車」を変えた12系
模型はKATO製品です。
1970(昭和45)年は大阪で「万国博覧会」=万博が開かれた年で、日本は高度成長期のまっただ中にあった時代です。
この頃の国鉄では103系や485系といった「標準型」が用途別に固まり、大量生産されていましたが、客車に関しては固定編成の20系以外新造がありませんでした。
当時、客車列車は「いずれ電車かディーゼルカーに置き換える」という方向性が示されていて斜陽化していたのです。
しかし、客車には維持費が安いという特徴があり、高性能の機関車も多くなってきていたので、機関車を客貨両用に運用すれば効率が上がるという状況も出てきました。
繁忙期などだけに動かす臨時列車は維持費の安い客車の方が向いており、夜行列車も「寝台電車」が登場したとはいえ、
・夜行の場合、目的地に具合のよい時間に着くことが重要で、スピードだけが要求されるわけではない。
・当時は郵便車や荷物車が多数存在し、夜行列車に連結されるケースも多かった。
・非電化区間に直通したり、運用が非電化区間にわたるものもあった。
といった事情があって、必ずしも電車だけで全てがまかなえる状況ではありませんでした。
一方、国鉄では一時的に極端に多くの需要が発生することが見込まれた「万博輸送」の対策、夜行急行の座席車の冷房化などに頭を悩ませており、ここに新型客車12系が誕生しました。万博前年の1969(昭和44)年のことです。
この新型客車は当時の急行型電車に倣った造りで、冷房付きの近代的な内装、自動ドアの採用で、陳腐化していた「客車」のイメージは大きく変わりました。塗装も従来の暗い青一色から明るい青に白帯二本というこれまでになかった色使いになり、以後「新系列客車」の色として定着します。
最大の特徴は、「固定編成」の考えを踏襲していたとはいえ冷暖房用の発電装置を床下に収め、これにより電源車を不要にしたことです。
その代わり給電能力は小さいので編成中何箇所かに発電装置を置くことになりますが、従来の固定編成で問題になっていた「分割したら片方にまったく電源がなくなってしまう」という点は解消され、途中で分割して別の方向に向かうような運用もスムーズに行えるようになりました。
もう一つの特徴はブレーキです。
通常の自動ブレーキでは最高速度は95km/hで、それ以上上げると「緊急時には600m以内で停止しなければならない」という規定を守れなくなるため、改良が必要になります。
20系が110km/hに速度を上げたときは客車本体の他、機関車側にも改造を要するシステムでしたが、12系では編成中にシステムを全てまとめ、機関車の装備に関係なく110km/h運転が可能になりました。
同じEF65型でも500番代と1000番代は20系用の装備をもっていますが、手前の一般型(貨物用)は20系用の装備をもっていません。
暖房用の装備はどのEF65ももっていないため、旧客を連結しての営業運転は無理です。
しかし12系なら牽引機を選びません。
また、20系以外の旧型客車は機関車側に列車暖房用の装備(蒸気発生装置か大型MG)が不可欠でしたが、客車に電源があればこれも不要です。
これらによって12系は牽引機をまったく選ぶことなく運用できるようになりました。機関車を客貨両用に効率よく使える条件は、こうして整ったのです。
12系は20系と異なり、旧型の客車と連結して運用できるようになっていることも特徴といえます。
12系には旧型客車用の暖房用電源ジャンパや蒸気管も引き通してあるので、暖房用の装備をもつ機関車と組み、最高速度95km/hで運用すれば、旧型客車と連結して編成を組めるのです。
こうした特徴を持つ12系は万博輸送に向けて大量生産され、万博輸送終了後は臨時列車、そして70年代中半からは夜行列車の座席車での運用も多くなり、サービスの改善と客車列車のレベルアップに活躍しました。
10系寝台などと併結して夜行列車の運用に就くことも増えました。
この後、12系のシステムは寝台の幅を広げた14系寝台車、内装を特急電車並にした14系座席車へと発展していきます。
分割民営化が近づいた1980年代中半になると、12系、14系座席車はお座敷列車やサロンカーに改造されるものが出現します。
稼働率が低く「遊び」の要素の強い車両は客車の守備範囲とされ、あちこちで華やかに活躍しました。
12系客車改造のジョイフルトレイン、「ユーロライナー」。
展望車、ラウンジカー、デラックスな個室…と、これでもかといわんばかりに豪華な設備を盛り込んでいます。
しかし時代が下がってくると、列車のスピードアップ、合理化、夜行列車の減少などにより、客車列車自体が大幅に減少します。
特に分割民営化で貨物の機関車が別の会社の所属になったこと、電車やディーゼルカーのスピードが大幅に上がって客車ではついていかれなくなり、臨時列車といえども客車を使わなくなってきたことなどは、客車列車が存続する理由のほとんどをなくす状況だったといえます。
現在、「サンライズエクスプレス」の様に「高速化」を目的に電車寝台が登場したり、北海道のようにディーゼルカー編成に寝台車を連結するケースが現れたりと、基本的にわが国では電車やディーゼルカーといった「動力分散方式」の流れに極端に大きく傾きつつあります。これは世界的に見ても極めて異例な状況といえましょう。
最高時速130km/hで走れる「サンライズエクスプレス」。
地盤の弱い日本の鉄道では、重い機関車を先頭にした客車列車がこの速度を出すことは、極めて困難です。
現在も寝台列車の多くは客車で存置され、「カシオペア」用には客車の新造車もあったとは言え、どうやら客車列車の活躍場所は極く限られたものになってきているといえそうです。
そして「客車のイメージアップ」に腐心したこのグループも時代の変化と共に役割を終え、静かに消え去ろうとしています。
「カシオペア」は1999年に登場した貴重な新造客車。
全車二階建ての超豪華特急です。
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