●「こだま型」電車
   151系と20系




 いよいよ「電車」による特急が登場しました。
 手前は従来の電気機関車と客車による特急「つばめ」です。

 1958(昭和33)年、東海道本線に国鉄最初の電車による特急「こだま号」が運行を開始しました。
 運行は1日2往復で、区間は東京ー大阪・神戸間。日帰り往復でも東京や大阪で約3時間滞在出来、仕事にはなるというビジネスマン向けのダイヤから「ビジネス特急」といわれるようになりました。
 スピードアップによって朝始発駅を出た列車がその日のうちに帰ってくることが出来るようになり、従来一日に片道しか走れなかった客車特急と比べ使用効率が倍になるという経済性も画期的でした。
 既にこの頃には東海道本線の輸送力は限界に近づきつつあり、何らかの線増工事が必要として様々な議論が交わされ、決定の最終段階に入っています。
 このことについては「実現した新幹線」の項に記しますが、この段階での「こだま型」登場は、新幹線の実現という意味でも実にタイムリーでした。
 「電車による特急」はこれが始めてではありません。これまでも私鉄には短距離の電車特急は走っていました。
 が、当時の国鉄の特急は機関車の牽く客車というのが常識でした。国鉄の特急は私鉄とは比較にならないほどの距離を走るため、電車特急の実現には耐久性、居住性など多くの課題を克服する必要があったのです。
 この電車は当初「20系」と呼ばれ、前年に登場した「新性能電車」90系をベースに製造されましたが、画期的な軽量構造、固定窓、空気バネ台車、客室の床と基礎部分の間に分厚いスポンジが入っている「浮床構造」等、多くの新技術を盛り込んでおり、静かで乗り心地のよいことが自慢でした。
 ボンネットの中にはコンプレッサーやサービス電源を得るための電動発電機が収められ、スタイルだけでなく「騒音の出るものを客室から遠ざける」という機能面でも画期的なものになっています。
 車内設備も斬新で、全車冷暖房完備、立食式のビュフェ、シートラジオなど列挙にいとまがないほどです。
 高速性能も優れており、東京ー大阪間を従来の客車特急に比べて40分も短縮して6時間50分で結び、最盛期には6時間30分にまでスピードアップしています。
 そして1959(昭和34)年に行われた高速度試験では163km/hという当時の狭軌鉄道の世界記録を樹立、しかも設計上の計算以上に乗り心地はよく、軌道や架線への負担が起こっていないという、非常に優秀な成績を残したのです。
 そしてこれは、いよいよはじまった「新幹線」の開発にも、数多くのデータを提供しました。
 この頃、既に西欧でも高速度試験があちこちで行われ、フランスではなんと331km/hという記録も樹立されています。
 しかしフランスの試験ではパンタグラフは焼け落ち、機器は全損し、レールは歪み…という状態であり、他の高速度試験でも200km/h以上の記録は出せても軌道破壊が大きく、実用上の最高速度は広軌(標準軌)でも160km/h程度であろうといわれていました。
 狭軌鉄道で163km/hを記録したということは、ゲージ対速度の比で単純に計算すると、広軌(標準軌)で219,2km/hの記録を出したのと同じ意味を持つことになります。これだけの速度を出して軌道や架線の状態、乗り心地にまったく問題がなかったということは極めて画期的で、日本の技術、そして「電車」方式の高速列車の優秀さを世界に知らしめることとなりました。


 模型はマイクロエースの20系電車で、編成は実物通り

←大阪 Tc M Mb'Ts Ts Mb'M Tc

です。
 スカートの色が明るすぎる上に青みがかっているため、どうにも目立ちすぎるので灰色9号で塗装、空気孔のモールドに黒を入れました。
 この製品は外幌まで表現されているため、連結器をTNカプラーのグレーに取り替えました。KATOのジャンパ付き密連では外幌が当たってしまいますが、TNはカプラー自体が横にスライドするので、連結間隔を狭めながらもカーブでの走行性は確保されます。
 また、マイクロのこだま型シリーズは妻に裾の赤帯が回り込んでいるので、似た色のクリーム1号で塗装する必要がありますが、20系は今のところ未施工です。



 この電車は後に「151系」と形式変更され、1960(昭和35)年には客車で運行されていた「つばめ」「はと」(いずれも東京ー大阪間)もこの電車に置き換えられることになりました。
 この時、客車特急の展望車に代わる特別車両としてクロ151、いわゆる「パーラーカー」が用意されました。この車両は1人掛けリクライニングシートと4人用のコンパートメントをもち、1両の定員が18人という豪華な車両です。
 このほか「つばめ」等の置き換えにあたっては本格的な食堂車サシ151、1等車(現在のグリーン車)の比率が高くなるので異例ともいえる「モロ」のユニットが用意され、従来の「こだま」も同じ編成に組み替えて共通に使用することになりました。そしてこの新編成は12両編成中1等車5両、食堂車とビュフェを両方連結という、驚くべき豪華編成となりました。


 ↑マイクロ製151系

 模型では少し前までKATOの181系を改造、クロハ181のクロ化(成田エクスプレスのシートに交換)、モハシの制作(シバサキの金属キット)等を行って「つばめ」として編成を組んでいました。
 編成は

←大阪 Tsc Ms Ms'Ts Ts Td Mb'M T M'M Tc

で、実車でも最も華やかな編成です。
 しかし最近、マイクロから151系も同時に発売されたため、これを購入。加工して新たにエースの座につきました。編成は上記同様です。
 加工点は20系に準じますが、中間車の連結器は交換していません。
 スカートの色はやや暗めのねずみ色1号とし、連結器カバーもはずして下半分をやはりねずみ色1号で塗りました。
 クロのシートはシールを貼ってモケットを表現するようになっていましたが、どうも目立たないようなので黄かん色(湘南色オレンジ)に塗ってシートカバーを白で表現しました。
 ヘッドマークはペンギンモデルの485系ボンネット車用のシールの中に「影付き」のつばめ号マークがあったのでこれを利用しましたが、微妙にシールの方が大きく、貼り付けはいささか難儀しました。
 この製品は動力車だけが微妙に車高が高い(0.5mmは違わないと思いますが)ので、取り付け用の爪を少し削って車体の取り付け高さを調整してみました。また、隣に来る車両の台車取り付けネジの奥にポリウレタンのかけらを突っ込み強引にネジを締め、微妙に車高を上げて調整した箇所もあります。


 151系はその後も増強され、電化の延伸と共に活動範囲を広げていきました。
 「つばめ」は広島まで足を延ばすようになり、宇野行の「富士」、名古屋行の「おおとり」など使用列車も増えましたが、1964(昭和39)年の新幹線開業と共に東海道を勇退します。
 「こだま型」は山陽、中央、上信越の各線に転出し、後にパワーアップ、ブレーキの改良などの改造を受けて「181系」となりました。
 しかし自慢のパーラーカーやビュフェは程なく普通車に改造され、「特急大増発」の大号令の下、次第に規格化された後発の特急車両に混じって活躍をしていくことになります。

   続く    戻る