●省エネ電車、201系
模型はエンドウ製の金属モデルです。
201系の900番代のモデルは数社から発売されていましたが全て絶版となり、現在は金属キットを使うか高価な中古品を探すしかありません。
201系は1979(昭和54)年、「省エネ電車」として中央線にデビューした通勤電車です。久しぶりの「新型国電」として登場しました。
201系はモーターの制御に半導体を使用する「サイリスタ・チョッパ制御」といわれる方式を採用し、メンテナンス作業の合理化と乗り心地の向上を可能にしました。この方式にすると制御回路の接点部分を大幅に減らすことが出来、なおかつ従来よりなめらかな速度制御が出来るためです。
とはいえこの方式は10年近く前に、当時の営団地下鉄千代田線用6000系で実用化され、既に大手私鉄各社に普及しています。
またこれから説明しますが、これを機に省エネルギー化に大きく役立つ「回生ブレーキ」の本格的な導入も同時に進んで、「新型はチョッパ制御と回生ブレーキ装備が標準」という状況に移行していました。
しかし国鉄ではこの間ずっと、従来型である103系の新造を続けています。
ただこれには、それなりの理由がありました。
まず、国鉄は所帯が大きく標準化が必要だったことが第一に挙げられます。
また労働組合の反対は、当時独特の状況でした。
メンテナンス作業を減らす新技術の導入は、合理化〜人員削減につながるとして、労働組合が反対していたのです。
そして何より大きな理由として、国電用の車両は民鉄とは一桁違うほど多くの両数が必要であり、初期投資の大きい新技術を使った車両をおいそれと導入出来なかったという事情があります。
ですが、このことは案外本などに書かれておらず、鉄道ファンにも知られていないようです。
またコスト面についてもう少し触れると、省エネによるコストダウンの効果と新技術導入によるコストアップを比べた場合「省エネ効果の方が圧倒的に勝っている」という状況ではなかったため、「省エネ」が叫ばれる以前は導入コスト低減の方が優先されていたという事情もありました。
さて、この「省エネ」に大きな役割を果たした「回生ブレーキ」ですが、これは90系の項でお話しした電気ブレーキをより進化させたものといえましょう。
ブレーキ時にはモーターに流れる電流が切られ、モーターは惰性で回っていることになります。
この、走行エネルギーで回っているモーターを発電機として使用して電力を発生させ、発生した電力を架線に返し、同じ架線を使っている電車等に使わせるとモーター(=発電機)を回すのに力が必要になって、ブレーキとして使えるというわけです。
従来の発電ブレーキでは電力を架線に戻すのではなく抵抗器に接続して、熱に変換していました。
自転車に乗っていてライトを点けるとペダルが重くなりますが、これを当てはめてみると「モーターを発電機として使うとブレーキ力が得られる」状況がおわかり頂けるかと思います。
それまで国鉄にも回生ブレーキ車はなかったわけではなく、電気機関車の一部などに使われていました。
しかし当時はまだコストが高かったこと、変電所にも設備の改良を要することなどにより、大量投入は難しかったのです。
実は103系でもずいぶん「回生ブレーキを導入できないか」と論議はなされたのですが、結局発電ブレーキのまま推移しています。
サイリスタ・チョッパ制御、回生ブレーキ装備の6000系が導入された千代田線と相互乗り入れをしていた国鉄の常磐線でも、国鉄側は103系の地下鉄仕様車を用意し、性能の面で大きな格差を生じていました。多くの鉄道ファンは国鉄の技術的な遅れを指摘しており、201系は「国鉄にもやっと出たか」の声を耳にしながらの登場でした。
しかし、時代は「第二次オイルショック」のさなかで「省エネ」という言葉が登場して流行語のようになった時であり、そういう意味ではずいぶんよいタイミングでデビューした電車だったといえましょう。
「第二次オイルショック」とは、1978(昭和53)年後半から中東情勢が不穏な状態(イラン革命、イラン・イラク戦争などによる)になったことから原油が急騰し、再び世界経済を揺るがした出来事です。わが国で自動車や電気製品が「省エネ」に重点を置いて開発されるようになったのは、この頃からでした。
こういった時代にデビューした201系は、一般の人からは「国電に登場した省エネ電車」として注目され、国鉄の「省エネ」に対する具体的な取り組みとして知られることとなったのです。
デザイン的には、上半分が黒い「顔」をしていて、斬新なイメージでした。窓が大きく見えることもあって、以後国鉄私鉄を問わずこのデザインは流行することとなります。
201系は国鉄としては多くの新機構を盛り込んだ設計だったため、2年近い試験を経て量産体制に入りました。
首都圏の中央線、総武線に量産車が出揃うと、続いて関西にも進出して一時は相当な拡大も予想されたのですが、1985(昭和60)年からは車両コストの低減がはかられた205系が登場します。
201系はその特殊な構造から103系と異なりローカル線への投入は殆ど行われず、どうやら都市部に生まれ都市部で生涯を終えるということになりそうです。
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