●東北・上越新幹線開業…1
ーひかりは北へー


 東北・上越新幹線用に登場した200系。KATO製です。
 この項目の写真は特記以外自宅で撮影しました。
 ジオラマを作ってあるわけではなく、高架橋の周りに建物を並べただけです。


 1982(昭和57)年、東北・上越新幹線が開業、北に向かって新幹線が走り出し、新幹線ネットワークはいよいよ本格的に拡大を始めることになります。
 当時は都心部の工事が遅れていたため大宮始発でのスタートとなり、上野ー大宮間には専用の接続列車「新幹線リレー号」が走りました。
 この時新幹線に登場した200系は始めて従来の「新幹線電車」と異なる営業車両としてデビューし、東海道の新幹線車両はあまり一般的でなかった「0系」という呼び方で区別されるようになります。
 200系はパワーや高速性能も並外れたものになりました。後に上越新幹線では275km/hの営業運転をやってのけているほどです。
 東北・上越新幹線には東海道新幹線での様々な問題点がフィードバックされ、車両、設備とも最先端の技術が盛り込まれていますが、この「問題点」の主なものは「雪害」と「騒音」だったといえましょう。
 雪害対策としては列車の先頭に雪をはね飛ばすスノープロウをつけ、床下の機器は「ボディーマウント構造」という造りにして、極力凹凸をなくして雪がこびりつかないようになっています。


 雪をはね飛ばすスノープロウ


 床下機器も車体の構造物にすっぽり覆われています。

 また、空気の取り入れは雪切り室を介して行うようになっていて、機器類に雪が入らない構造です。これらにより200系は極めて重装備の車両となり、ものものしい外観が特徴となっているわけです。


 ドアの横にあるものものしい雪切り室。
 雪切り室の表現がはっきりしているため、この写真はTomix製の製品です。

 軌道はコンクリート造りのスラブ軌道にし、特に上越新幹線の降雪の多いところでは、温水スプリンクラーで自動的に雪を溶かしてしまう設備を設けました。区間によっては線路をシェルターで覆ってしまっているところもあります。
 騒音対策としては分厚い防音壁を設置し、軌道も様々な角度から騒音、振動を減少させる構造を採っています。
 また、住宅が密集していて騒音問題がこじれた大宮以南の都心部の区間については、速度自体を110km/hに落として運転することとなりました。これには用地買収の関係でカーブが急になったという事情も関係しています。
 余談になりますが、新幹線に並行して走る埼京線はこの地域が不便だったことに加え、新幹線通過地域の住民への「見返り」の意味ももって建設された経緯があります。
 更に余談ですが、新幹線が徹底した騒音対策と減速運転を行ったことから、当初は中古の103系で開業した埼京線の方が騒音がひどかったという、笑うに笑えない現象も起こりました。


新幹線 「お〜い、おまえらの方がやかましいぞ〜!!」

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