●新幹線への第一歩「湘南電車」
戦時中の 島 秀雄が登場します。
1944(昭和19)年、弾丸列車計画は戦争のため中止になってしまい、戦局も日増しに悪化していきます。
彼も戦火の中で仕事を続け、物資のない中で戦時型車両の設計に腐心する毎日でしたが、決して希望を捨ててはいませんでした。
「戦争が終わって平和になったら、必ず『新幹線』の時代が来る。それを実現するには機関車の牽く列車ではダメだ。電車方式の高速列車を開発しなくてはいけない」
空襲の時でも彼は防空壕に仲間を集め「高速電車」の設計について議論を重ねていたといわれます。
敗戦になり、廃虚の中から日本は立ち上がっていきます。国鉄も復興の原動力として活躍しました。
そんな中1950(昭和25)年、東海道本線にオレンジにグリーンという派手な塗り分けの電車がデビュー、数々の新機構を盛り込んで颯爽と活躍を始めました。
「湘南電車」の登場です。
鉄橋を渡る湘南電車。
向こうには横須賀線の70系が…
(ジオラマ制作 山田 敦 様)
「湘南色」といわれる塗り分けはよく「沿線でとれるみかんをイメージした」といわれていますが、実際には「従来よりスピードの速い列車がきた」ことに対して注意を喚起するためにまずオレンジ色が選ばれ、これに合う色で色あせが少なく、安く…と検討していたら濃いグリーンがよいということになったというのが本当のようです。
最初の1ロットの先頭部は戦前の旧国を進化させたような3枚窓のスタイルをしていましたが、その次からは前面2枚窓の鼻筋の通った「顔」になり、「湘南型」のスマートな顔は各地の私鉄にも取り入れられるようになりました。
車内は客車と同じように入り口と客室がデッキで仕切られ、落ちついた雰囲気になっています。今のグリーン車にあたる2等車も「特別2等」ではありませんでしたが、電車用としてはかなりデラックスな造りでした。
16両という長大な編成と数百kmの長距離運用を考慮した設計は従来の常識を覆すもので、この電車はやがて登場する「新幹線電車」への第一歩となるわけです。
ただ、確かにこの電車は「長距離用」の範疇に入るものですが、当初は通勤用と長距離用の背反する条件を満たす電車として設計されたという点も特徴のひとつです。
客車のように落ちついた造りでありながら、車端部にはロングシートや吊革が用意され、貫通路も広くとり、ドア幅も「ロクサン型」と同じになっているなどよく見るとずいぶん通勤電車の要素が入っており、設計の苦労がしのばれます。
設計陣の考え方も「客車鈍行をアシの速い電車に置き換えれば、客車急行と鈍行の足並みが揃ってダイヤを詰めやすくなる」というもので、当時としては極めて先進的な発想であったといえましょう。
こうして活躍を始めた「湘南電車」も最初は初期故障が連続し「遭難電車」などといわれましたが、やがて故障は克服され、電化の延伸につれて運転距離も伸びていきます。
そのためだんだん本格的な長距離仕様の車両が造られるようになり、最後に登場したグループは現在の「急行型」とほぼ同じ内装になっています。
NゲージではKATOとGMが製品化していますが原型タイプはキットのGMしかないので、今回はこちらを組みました。
80系は塗り分けがやっかいな上サロもありませんが、塗装済みキットが出ていくらかでも制作しやすくなったこと、タブァサから金属キットでサロの原型タイプが出たことなどにより、これを機に揃えることとしました。
また、キットの形態は更新後の姿ですが、これには目をつぶることにし、16両フル編成を揃えました。
上からクモユニ81、クハ86、モハ80,サロ85です。
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