●ブルトレブーム
ブルートレイン、そして特急電車は、一躍人気者となりました。
70年代前半、SLブームが起こったことは既に書きましたが、1977(昭和52)年あたりから、SLブームとは別の鉄道ブームが起こってきました。
その少し前まで「スーパーカー」を追いかけていた子供たちが、ブルートレインや特急電車を追いかけ始めたのです。
SLブームはおしなべて「若者」以上の年齢の人たちのものでしたが、ブルトレブームの主役は子供たちから中学生あたりまででした。
ちょうど東京発着ブルトレの牽引機交代(EF65の500番代から1000番代へ)、上野ー新潟間の特急「とき」に使われていた「こだま型電車」の置き換えが本格化するといった大きな出来事がありブームは過熱する一方で、駅ホームの混乱や早朝、深夜の子供による撮影などが問題になりました。
ところが国鉄ではこうした動きに注意を喚起する一方、ここぞとばかりに商売に励んだのは、当時としてはなかなか斬新なことでした。
特に電車特急のヘッドマークが文字だけのシンプルなものから絵柄入りになったのは、完全にブームを意識しての施策といえます。
駅の売店には特急グッズが並び、記念切符があれこれと発売され、ブルトレと山口線のSLを組み合わせたツアーも登場しました。
どこを見ても暗い話題ばかりだった当時の国鉄にとって、子供たちの注目が集まったことは非常に明るい材料だったといえましょう。
また、ここで扱っているNゲージの鉄道模型もこの時期に大ブレイクし、これから数年をかけて今の製品ラインナップの基礎を築いています。当時ブルートレインは模型でも大人気でした。
これに合わせる形で雑誌「鉄道模型趣味」が「Piay Model」という別冊を発行し、斬新な内容と初心者向けの記事、既製品からの改造で他形式を作る記事等を盛り込んでNゲージの楽しみ方を広げたことも、Nゲージの発展に貢献したといえます。
やがて「爆発的な鉄道ブーム」は衰えるものの、ここからしばらく鉄道をきちんとした「趣味」として成長していった人も多くいたため、当時の「子供たちの間のブーム」というには結構息が長いものとなります。
しかし1982(昭和57)年の東北・上越新幹線開業で上野口の在来線特急が大幅に廃止されると、ブームは完全に下火となりました。
ブームの中で育った子供たちも成長し、ちょうどこのあたりで高校や大学の受験、運転免許の取得という時期を迎えて鉄道を「卒業」していった人も少なくなく、ひとつの時代が過ぎ去っていったのです。
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