●難産だった本線用ディーゼル機関車…2
ーDD51型の登場ー


 世界のディーゼル機関車の主流は、当時も今もアメリカ製の電気式です。
 しかし当時、アメリカのやり方のまま日本の条件で作ったら800馬力程度のエンジンを載せ、本線用としては非力な機関車しか出来ないといわれていました。DF50はヨーロッパ系の技術を使用して1000馬力強のエンジンを採用し、何とか本線で使用出来ていましたから、世界的に見ても条件あたりの性能は、むしろ良い方だったのです。
 軽くて力の強い機関車にするとなるとディーゼルカー同様「液体式」ということになりますが、自走すればよいディーゼルカーと違って、列車を引っ張るディーゼル機関車の使用条件は複雑、過酷であり、当時ようやっと「液体式の本線用機関車」を実用化していたのは西ドイツだけでした。
 ドイツは戦前からのディーゼル先進国です。ディーゼル機関車を本格的に運用し始めたばかりのわが国がこのレベルに並ぶことは、並大抵のことではありませんでした。
 国鉄では各車両メーカーに試作機を造らせて今後の方針を探りましたが、一部を除いて満足できる性能のものはなく、エンジンなどの主要部分も外国の設計によるものばかり。
 国鉄としても相当頭の痛い問題ではありましたが、DF50の「外国による設計」で苦労したという経緯もあったため、困難は承知の上で「純国産のディーゼル機関車」の開発にあたることに決定し、設計が始まりました。
 こうして1962(昭和37)年、DD51型の試作機が完成しました。DF50とほぼ同じ84tという重量で2000馬力(後のものは2200馬力)のパワーをもち、列車暖房用の蒸気発生装置も装備するという、世界にも類のない高性能、特殊設計の機関車となりました。翌年には2次試作機の2〜4号機、次いで1次量産機5〜19号機が登場、1964(昭和39)年の2次量産機から、いよいよ本格的な量産体制に入りました。


 DD51型ディーゼル機関車.
 蒸気機関車に代わって非電化幹線で活躍をはじめました。
 模型はKATO製品です。


 DD51はDD13のものをベースにしたエンジンと、苦心の末に開発した液体変速機を搭載していましたが、当初から長距離、重負荷の仕業に就けたこともあって、初期段階ではまさに故障の連続でした。ひどいときには走行距離10万kmあたり50件以上も故障があった時期もありました(現在は1件未満)。
 が、何しろ当時は東北本線や鹿児島本線、日本海縦貫線にも非電化区間が残り、一刻も早い輸送改善が必要だったこと、あまりにも「はじめて」の要素が多く、ある程度の数を造って色々な条件で動かしてみないとわからないことも多かったことなどから、あえて1次量産機の製造に踏み切り、試練を課したという説が一般的です。
 多くの関係者の長期にわたる努力により様々なトラブルは克服され、2次量産車も安定した活躍を見せるようになって、ようやくDD51は完成された機関車に成長しました。そして蒸気機関車に代わって活躍するようになります。
 活躍場所も四国を除く全国に及ぶようになり、この機関車の技術はその後の多くのディーゼル機関車の基礎となりました。
 特に入換、ローカル線用のDE10型は日本の隅々まで分布し、四国では急カーブに強いことから本線の長距離運転にも活躍しています。



DE10型
 入換作業用に、ローカル線の客貨両用に…、と多くの用途に使える機関車です。
 5軸の動輪をもつという非常に変則的なスタイルをしていますが、これにより大きなエンジンと、客車牽引時に使う暖房用の蒸気発生装置を載せることが出来ました。
 3軸の部分は1軸1軸が少しずつ動くようになっており、急カーブでも楽に曲がれるようになっています。
 模型はTomix製品です。



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