●新時代を担った電気機関車
EF58型とEF15型
戦争中爆撃などによって破壊され、日本の鉄道は大きな打撃を受けました。
そして、機能している線路や車両も手入れもままならないまま酷使され続けたためすっかり荒廃してしまい、輸送能力はガタ落ちになってしまいます。人員や石炭の不足は、それに追い打ちをかけました。
鉄道の復興には多くの努力が払われていきますが、とりわけ輸送量の多い東海道本線では復興が急がれ、加えて全線電化をめざして着々と工事が進められていきました。
1946(昭和21)年、来るべき電気運転の時代に備えて用意されたのが旅客用のEF58型、貨物用のEF15型の2形式です。
東海道の電化を進めていく方針は、この様に戦後すぐからたてられています。
これは電化は輸送力やスピードのアップに有効なことが少しずつ浸透していったという事もありましたが、当時敗戦によって軍事産業がなくなってしまい電力が余剰気味になっていたことや、貴重なエネルギー源であった石炭の不足が深刻で、水力発電が使え、エネルギー効率も良い電気運転を鉄道に広めて石炭を節約しようという施策も大きく関係しています。
この頃は炭鉱でも、戦争による労働者の不足、機材の荒廃により石炭生産能力は落ち込み、日本中が深刻な石炭不足に陥っていました。
当時は戦争により石油の輸入は非常に困難になっており、さらに国内の生活や産業の構造も石炭中心でしたから、石炭不足イコール深刻なエネルギー不足ということになるわけです。
EF58とEF15はギヤ比の違いで性能が分けられていますが、メカ的な構造は殆ど一緒で、共に昭和30年代に入るまで大量生産されました。
EF15型。KATOの完成品で、ウェイトをグリーンに塗ってある他は製品のままです。
EF58は当初、EF15同様箱形車体のデッキ付きでしたが、1951(昭和26)年に列車暖房用のボイラーを積んだのを契機に流線型の車体に載せ替えられています。戦前製のEF57型などはボイラーが載っていてもデッキ付きですが、EF58の場合は長距離運転に備えて大型のボイラーを採用したため、まったく別の形になったのです。
EF57型。KATOの完成品で、ウェイトをグリーンに塗ってある他は製品のままです。
架線は浜松、名古屋、米原と延び、1956(昭和31)年には関西圏の電化区間に達して全線電化が完成します。
そしてEF58は東海道の花形として大活躍。特に全線電化と共に登場した特急「つばめ」「はと」(いずれも東京ー大阪)用のグリーン塗装「青大将」や、寝台列車用のブルーの塗装は、茶色ばかりだったほかの機関車の中にあって非常に目立つ存在でした。
各色のEF58がずらり。
全てKATO製です。
お召列車用のEF5861号機。KATOの完成品に徹底的に色を入れましたがディティールパーツはつけていません。
また、最初からお召し列車用として新造された機関車があったのも特筆すべき出来事で、60、61号機の2両が存在しました。このうち61号機は今も走行できる状態で、ファンの人気を集めています。
全線電化によって東京ー大阪間は7時間30分に短縮されて表定速度は74,2km/hにも達しますが、これ以降のスピードアップは「電車」に委ねられることになります。