●貨物輸送の近代化…1
ー貨物列車今昔ー


 1960年代に大型貨物船やトラックが台頭してくるまで、貨物輸送のかなりの部分は鉄道が担っていました。
 コンテナ列車の登場や高速貨物列車の登場もこの頃になりますが、貨物輸送の基本的なシステムは、明治以来1980年代初頭まで変わっていません。
 まず、以前の標準的な貨物輸送の姿をご説明しましょう。
 以前の貨物列車は色々な貨車が雑多に連結され、行き先もバラバラでした。
 貨物を扱う駅も非常に多く、現在からすれば細かいネットワークが出来ていました。貨物列車は貨物扱いのある駅ごとに停まり、その駅行きの貨車を切り放し、その駅発の貨車を連結し、少しずつ「メンバー」を変えながら進んでいきます。
 こうして操車場に着いた貨物列車は行き先方面別に連結し直され、再び各方面に出発していきます。これが最も基本的な「解結貨物列車」の姿で、やがて効率的に輸送を行うため、いくつもの種別が設定されるようになっていきます。
 操車場のことを「ヤード」といい、このように「列車を組み立てる」作業をヤード作業といいます。
 ヤード作業を基盤にした「ヤード集結方式」という方式は、どこの駅にも貨車を発着させられる利点があります。
 しかも日本は貨車のやりくりが上手く、輸送規模あたりの貨車の使用両数はヨーロッパ諸国の3分の1という効率の良さ。これは世界一高い水準でした。
 しかしヤード集結方式では作業に長い時間をとりがちで、これが輸送のスピードを大きく下げていました。
 作業も常に危険が伴います。
 到着した貨物列車が行き先方面別に連結し直されることはさきにも書きましたが、この作業は小高く作った丘の上から貨車を滑り落とし、貨車のわきにつかまった作業員がブレーキをかけて速度を調節し、連結させるというものです。
 連結が終わると、作業員は再び丘の上に走っていき、次の作業をする貨車に飛び乗ります。


 丘の上から滑り落とされた貨車は、行き先別に連結されます。
 この丘のことを「ハンプ(坂阜)」といい、こうした仕分け作業を「ハンプ作業」といいます。自宅にて撮影。


 貨車がひっきりなしに行き来する構内で作業員が走り回っているのですから、事故も絶えませんでした。作業員は日に40kmも走るといわれ、過酷な労働も問題化しています。
 そしてこうしたことに加え、ヤード集結方式では到着日時がはっきりできないという弱点もありました。
 ヤードに到着した貨車は切り放され、今度は別の列車に連結されるわけですが、作業状況によっては目的地方面に向かって出発する列車とタイミングが合わないことがあります。また、その列車が両数いっぱいだと、つなぎきれない貨車は「後回し」になってその後の列車に連結されることもあるのです。
 こんなことばかりでは困るため、連結列車を指定するシステムを導入して該当する車両をヤードで優先的に継送していく様にしたり、効率の良い輸送が出来るよう列車体系を見直したり、ヤード作業の機械化を行うなど様々な改善が行われています。
 しかしヤード作業を要すること自体に変りはなく、効率化はなかなか進みませんでした。1983(昭和58)年の段階でも、ヤード滞泊時間は平均9時間という数字が出ています。
 鉄道が貨物輸送の主役だった時代はともかく、ドア・ツー・ドアで荷物を運べる自動車、大量輸送が可能で運賃も安い沿岸航路が台頭してくると、この方式は能率の悪さが目立つようになりました。
そこでついに1984(昭和59)年、貨物輸送の大幅な合理化が行われます。
 これによりそれまでの細かい全国ネットワークを整理する形で貨物扱い駅を集約、コンテナ列車や物資別専用列車中心の「拠点間直行方式」という体系に改められ、国鉄の貨物輸送は大幅に縮小されました。
 この結果大規模な操車場は廃止、貨物列車も激減して貨車が走らなくなった路線も多くありましたが、不採算部門は思い切って他にまかせ、鉄道は大量輸送、定時輸送といった鉄道の得意とする分野にしぼった輸送を行うようになったのです。

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