●貨物輸送の近代化…2
ーコンテナ特急の登場ー
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とはいえ、貨物輸送の近代化は案外はやい時期に着手されています。
1959(昭和34)年には東京(汐留)ー大阪(梅田)間に、はじめてのコンテナ特急「たから号」が運行を開始しました。
コンテナ特急「たから号」。
当時我国最大だった電気機関車EH10型が先頭に立ちました。
後ろの貨車はKATOのコキ5500型ですが、近いうちに運行開始当初に使われた貨車が発売される予定なので、購入しようと思っています。
コンテナとは貨物を入れる大きな箱です。
コンテナは出発地から専用のトラックで貨物駅に運ばれ、貨物列車に乗せ換え、終着駅からはまたトラックで目的地に運ばれます。
本来鉄道のもつ「定時・高速・大量輸送」という特徴とトラックの機動力をドッキングさせた方式です。
しかし別の側面から見ると、道路の整備が充分でなかった当時、トラックは長距離輸送に向かなかったという事情も忘れてはならないでしょう。トラック自体も現在のように長距離運転が可能な性能をもつものは、まだありませんでした。
コンテナの導入で何より改善された点は、荷扱いが簡単になったことでした。
トラックから貨車への荷扱い作業はフォークリフトで行うだけでOK。いちいち人が荷物を降ろしたり積み替えたりせずに済むため、非常に早く能率的になったのです。
このことから「戸口から戸口へ」というキャッチフレーズが付けられ、コンテナは貨物の花形として広まっていきます。
「たから号」は1両に5tコンテナ5個を積んだ貨車を最大24両も連ね、最高時速は85kmを誇りました(一般の貨物列車は65km)。途中での積み卸しはなく、ヤード作業もありません。
東京ー大阪間の所要は約11時間。当時としては夜行の急行列車とあまり変わらないスピードで、輸送時間は飛躍的に短縮されました。
1966(昭和41)年になると、特殊装備のブレーキをもち、100km/h走行を可能にしたコキ10000型が登場します。いわゆる「10000系貨車」にはコンテナ車の他、有蓋車(屋根付きの貨車)、高速鮮魚特急用の冷蔵車が製造されています。
コキ10000型貨車。
台車には客車と同じ空気バネが使われたデラックス版の貨車です。
高速性能はよかったのですが製造コストが高いことが問題になり、後に最高速度を95km/hとしてコストダウンをはかったグループが登場することとなります。自宅にて撮影。
10000系のブレーキは高速に対応した設計になっているだけでなく、機関車側に装備があれば連結するだけでブレーキ管もつながってしまう仕組みになっており、連結作業時間の短縮まで含めて高速化を極限まで追求したことが最大の特徴といえます。
10000系登場当初、東海道本線では運転条件の厳しさからEF65型が重連で使用されて話題を集めました。このことからも東海道本線の高速貨物列車は非常に重負荷の仕業だったことがわかりますが、実際の所はフルに機関車2両を要するという負荷ではなく、高速貨物を1両で牽けるより強力な機関車の開発が既に始まっています。
こうして1968(昭和43)年にEF66型の量産機が登場、活躍を開始しました。
EF66はEF65の1.5倍もの出力をもち、以来JRになってEF200型が登場するまで、わが国最強というパワーを誇りました。
EF66型電気機関車。
美しいスタイルと並はずれたパワーで、現在に至るまで高い人気を誇っています。
1969(昭和44)年には東名、名神高速が全通するため、「東名に負けるな」を合い言葉に運行を開始しました。
コンテナ特急は「フレートライナー」と呼ばれるようになり、全国に波及していきます。