●ディーゼルカーの高性能化…2



 
こうした状況を受け、国鉄でもいよいよ「高出力のディーゼルカー」の開発に本腰を入れるようになります。
 1966(昭和41)年には300馬力エンジンを積んだキハ90型、500馬力エンジンを積んだキハ91型がが完成し、千葉県内で試験が始まりました。
 翌年には500馬力エンジンの本格的採用が決まり、キハ91型、キサロ90型による編成列車が落成、中央西線の急行「しなの」で営業列車に投入しての、本格的な試験が行われまます。


 キハ91系急行「しなの」。
 当サイトではあまり試作車的なものは登場させていませんが、マイクロエースから出来のよい完成品が適切な価格で発売されましたので、購入しました。


 このエンジンは1台で規格型エンジン2台分以上のパワーを誇るというもので、大幅な保守作業の合理化が期待されました。これによって編成全体のエンジンの数は半分になるからです。床下の装備も小さなエンジンを数多く搭載するより、ずっとゆとりが出来ました。
 この実績を元に1968(昭和43)年、強力型の特急用ディーゼルカー、キハ181系が登場します。
 キハ181系は強力型ディーゼルカーの故郷、中央本線でのデビューが決まり、特急に格上げされた「しなの」で活躍をはじめました。


 キハ181系。Tomix製品です。
 500馬力エンジンを積み、高性能化を実現しました。


 キハ181系は、翌年には東北本線〜奥羽本線の特急「つばさ」に投入され、その後伯備線〜山陰本線の特急「やくも」、四国の「しおかぜ」「南風」などに活躍の場を広げていき、500馬力の大型エンジンをとどろかせて大活躍します。
 中でも特急「つばさ」の仕業は、鉄道ファンの間では有名なものとなりました。
 この仕業は最高時速120km/hという電車特急と同じスピードで東北本線を飛ばし、奥羽本線では1000分の33(1km進むと33mの高低差がある)という急勾配のあることで有名な難所「板谷峠」を補助機関車なしで越えるという、極めて過酷なものだったからです。
 しかし、「つばさ」のキハ181系は苦戦しました。
 板谷峠ではトンネル内で立ち往生して乗客が排ガス中毒になるトラブルを起こしたため、急遽補助機関車を連結することになりました。


 補助機関車EF71型に先導されて走るようになった「つばさ」。機関車もTomix製品です。
 碓氷峠と並び称される名シーンといわれました。


 また、過酷な使用条件によって故障車が続出したため「つばさ」を12両から11両に減車するという措置もとられています。
 このあたりのことや、その他の整備関係からの指摘を元に、後に同系列のエンジンを積んで登場するキハ66・67型や北海道用のキハ183系では、出力を若干落としてゆとりを持った設定となりました。こうしたことからも「高出力エンジン」の開発や運用の難しさがうかがわれます。


 キハ66・67型。珍しい2両ユニットのディーゼルカーです。
 大型エンジンを積み、冷房を搭載し、車内には転換クロスシートが並ぶ豪華版で、筑豊本線などで活躍しました。
 本当は以後のディーゼルカーの基本モデルとなるはずでしたが、重装備すぎてコストが高かったこと、あれこれ新機構をねらいすぎて使いにくい面も多かったことから、量産化されることはありませんでした。
 模型はマイクロエース製品。


 さらに後年になって登場するキハ40系では、また別のエンジンが設計されていますが、このエンジンに至ってはあまりにもゆとりがありすぎて当初から「非能率」という声もあがるほどでした。しかし「トラブル防止のためやむを得ない」とされ、量産化されていきます。


 キハ40系。KATO製品です。
 国鉄の赤字が深刻になる中、地方向け車両は非冷房で生産されるようになりました。
 この車両については後日、「地方の時代が始まる」という項目を設け、もう少し細かくご紹介する予定です。


 このように当初は規格型エンジンのおかげで大発展したディーゼルカーも、ステップアップしていくにあたっては色々と曲折を経ることとなりました。
 しかし「徹底した標準化による安定化」を最優先し、規格型エンジンほぼ一本で大量生産を行った日本のディーゼルカーの歴史は、「これが大きな発展を助けた」部分と「保守的すぎた」部分の両面があり、キハ80系、キハ60型、キハ181系といった各形式の位置づけは、見る人や論点によって変わってくるといえそうです。
 現在のように軽量、強力で省エネルギー性に優れたエンジンが普及するのは、実に1980年代中半、国鉄の分割民営化前後になってからです。
 ディーゼルエンジンそのものは刻々と進歩していたのですが、それを鉄道に取り入れる環境の成立は、従来の規格型エンジンを使用した車種が老朽化し、取り替えが必要になるまで待たなくてはならなかったわけです。ちょうど同じ時期にローカル線問題が正念場をを迎えたことも、省エネルギー性に優れたエンジンの普及を後押ししました。


 国鉄末期、四国に投入されたキハ185系。マイクロエース製品です。
 この系列あたりから、低燃費で強力なエンジンを搭載したディーゼルカーが目立ちはじめます。
 キハ185系は当時特急用としては珍しいステンレス車体をもち、軽量化が図られています。


 そしてその後の発展は極めて急速で、現在では「国鉄型」ディーゼルカーの姿も減少しました。
 また現存している国鉄型のキハ40系、従来の規格型エンジンを使用した各系列とも新型のエンジンに交換したものが多くあるため、「国鉄型のエンジン」で走っているディーゼルカーは、もはや少数派です。

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