●夢の全国新幹線網…2
ー「日本列島改造論」ー

 1973(昭和48)年2月 政府は新幹線の整備を盛り込んだ「経済社会基本計画」を閣議決定、新幹線約7000kmを整備することとし、同年11月には「基本計画線」のうち5線の整備計画と他12線の基本計画が決定されました。
 以下の5線がこの後「整備計画線」といわれます。

 1,北海道
 2,東北(盛岡以北)
 3,北陸
 4,九州(鹿児島ルート)
 5,九州(長崎ルート)

 「整備計画線」とは、着工準備に入る路線を意味します。
 残る12線(約3500km)はその前の段階の「基本計画線」とされ、ここに約7000kmの新幹線網計画が固まり、「日本列島改造論」の花形として語られることとなるのです。
 「日本列島改造論」とは1972(昭和47)年、当時通産大臣だった田中角栄が自民党総裁選挙を控え発表した政権構想です。これは本にもなり、ベストセラーとなりました。
 自民党総裁、つまり首相となった田中は、豪快に公約の実現に動き出しました。
 その内容は、限られた地域に集中しすぎていた工業を再配置し、全国を新幹線と高速道路で結んで過密、過疎を是正して国土の均衡ある発展を促そうというものです。
 「列島改造」はこの「経済社会基本計画」で始まったといえるでしょう。
 当時、高度成長による工業の急速な発展に伴う都市への人口集中、その一方で地方の人口流出により、過密、過疎が問題になっていました。
 公害も深刻化し、大気汚染、水質汚濁、地盤沈下などの被害や公害病の発生が、各地で相次いでいます。
 産業の配置をやり直してこういった問題を解消しようというのが、この政策の真意でした。しかし日本中の産業や人口の分布を変えていこうというわけですから、これは大変な作業です。
 これによりわが国には空前の建設ブームがまき起こります。まさにモーレツな勢いで経済も発展していきました。


 ああ、夢の超特急…
  …ってこんなひなびた街の中に…?

 小さなジオラマを作ったので、この写真も自宅で撮影しました。 


 しかしそれに伴い地価は高騰、乱開発による環境破壊など様々な問題を引き起こし、大きな混乱も招いたのです。
 そこに、「第1次オイルショック」が起こりました。
 1973(昭和48)年の11月です。
 これは第4次中東戦争に関係してOPEC(石油輸出国機構)が原油の減産を決めたことに端を発しています。
 日本では「石油がなくなる」というデマが飛び、モノ不足が予想されると一気に物価は暴騰してしまいました。
 個人レベルでも石油製品の買い占めが始まり、トイレットペーパーや合成洗剤を買うために行列に並ぶ…という事まで起きました。更に師走も近かったため「灯油は?」「ガソリンは?」「電気は?」…と不安が広がって日本中パニック状態。
 経済は大混乱となり、高度成長を長く続けてきたわが国は、以後深刻なマイナス成長、不景気の時代に突入することとなります。
 また、後に田中角栄は「ロッキード事件」といわれる航空機の機種選定をめぐる汚職事件で、逮捕されてしまいました。
 「列島改造」は夢と消えたのです。
 このあおりを受けて整備5線の着工は見送られ、基本計画線にいたってはほとんど何も手が付けられないまま、事実上の棚上げとなりました。
 不景気の時代は数年にわたって続きます。そしてその後遺症も極めて深刻なものでした。
 国の財政も、そして以前から深刻な状態だった国鉄の赤字も、なすすべもないまま悪化するばかり。
 こうした中ついに1982(昭和57)年9月、整備新幹線の建設凍結が閣議決定されます。
 また、国鉄の分割・民営化も概ねこの頃からはっきり方向付けられており、当時財政再建について議論を行っていた臨時行政調査会(第二次臨調)も整備新幹線建設は「当面見合わせる」としています。
 建設の凍結が解除されるのは1987(昭和62)年1月の事となります。
 ここから後の動きについては、「国鉄の分割・民営化」の後に項目を設ける予定です。

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