●進駐軍と「国鉄型」の確立
戦後の占領時代、国鉄も進駐軍の傘下にあったため、全ては進駐軍の意向によって決定されていました。
進駐軍専用列車は戦前の特急列車などを接収、改造して運行されたものも多く、敗戦の苦境にあった日本の中で贅を凝らした特別列車は、当時の人にとっては屈辱以外の何ものでもなかったに違いありません。
進駐軍は一般の急行列車などについても優等車両の改善を求めてきましたが、これが現在の寝台車とグリーン車のスタイルをつくったことは、特筆すべき出来事でしょう。
当時の客車の基本的な設備は
3等は4人ボックス
2等は4人ボックスの上等なものか転換クロス
1等はソファーかコンパートメント、大半は展望車
3等寝台は3段式で幅52cm(戦時中に全廃)
2等寝台は2段式、幅70cmでロングシートを引き出して作るタイプ
1等寝台は個室
というスタイルでした。
しかし進駐軍の方針により2等にはリクライニングシートを、1等寝台には個室の他、現在の開放型A寝台にあたる「プルマン型」寝台の導入が指示されました。
プルマン型は大きなボックスシートから作る寝台で幅も広かったため、個室ではありませんでしたが1等寝台に区分されました。
プルマン寝台と個室寝台をもち、クーラーまで備えた寝台車マロネ40型。
元は進駐軍の指示で作られた1等寝台車マイネ40型で、模型は一般の急行列車用に使用されていたときの姿です。レイルロード製の金属キットを組み立てました。
リクライニングシートも当初は1等車ということで話が進んでいましたが、進駐軍は2等車として扱うよう指示、一般の2等車と格差も大きかったので「特別2等」として料金面で格差を付けて扱うことになりました。
最初の特別2等車スロ60型。KATOの完成品です。
特別2等車は予想以上に好評で「特需景気」で豊かになった人が利用するケースが増えました。
特にまだ3等寝台が廃止されたままになっていたこの時代、夜行列車に連結されたものは寝台車代わりにもなるとして連結の要請が相次ぎました。
当初2等車としての扱いに当惑していた国鉄側に「それみたことか」とばかりに進駐軍は増強を指示、連結列車は急速に増えていきました。
このあとには3等車にも急行用に設備を大幅に改善したスハ43系、特急列車には2人掛け一方向きのシートをもつスハ44系が相次いで投入され、優等列車のサービスは大幅に向上。これらは「国鉄タイプ」の急行型、特急型の設備の基本となり、以後長い間踏襲されていくことになります。
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