フォークギター

 昭和37年、1962年生まれである。
 ニシジマ少年が音楽を意識しだした小学校高学年は、ビートルズやグループサウンズの時代は終わっていた。
 テレビのアイドルでは新御三家といわれた郷、野口、西城、花の中三トリオといわれた森、桜田、山口。
 それに天地。
 (フルネームがわかる人は同世代ですよね。)
 小学校6年のときに父親がビクターの卓上ステレオプレーヤを秋葉原で買ってきた。
 一緒に姉が買ったシングルレコードはカーペンターズの「イエスタデイワンスモア」だった。
 そこで洋楽というジャンルがあることを知る。
 テレビの世界とは別のところで井上陽水や小椋圭といったシンガーソングライターといわれる人たちが台頭しだした頃でもあった。

 水泳部の小林君が「スカボローフェア」の前奏をガットギターで弾いてるのをみて、ギターが欲しくなった。
 中一の年明け。
 お年玉と郵便貯金を下ろしてモーリスのフォークギター1万5千円を購入した。

 中学校ではエレキギター派とフォークギター派に分かれていた。
 エレキギター派はワイルド、派手、フリョーで、フォークギター派は穏健、地味、まじめというカラー分けにもなっていた。
 しかし、ここがポイントなんだけれどもフォークギター派は地味だったけれども意外にも女の子にもてるという点でいい勝負をしていた気がする。
 エレキ派はバンドという形にならないとその実力が発揮できないのに対し、フォーク派は弾き語りができればこっちのものなのだ。

 それに当時はフォークからニューミュージックという言葉に変わろうとしている時期で、上記の井上陽水、小椋圭や、かぐや姫、グレープが活躍していた時代だった。
 彼らの曲はまさにフォークギター入門に適切で、例えば音楽控え室で「22才の別れ」をスリーフィンガーで弾き語ってしまえば、女子部員の羨望の眼差しをあびることができちゃったのだ。(なつかしいなぁ)

 音楽部では毎年春に新入部員歓迎コンサートを開いていた。
 中学を卒業してOBとなったニシジマと小林君はこのコンサートの最後の30分をもらって演奏することを部長の坂部晴美に頼み込んで承諾を得ていた。
 曲目はかぐや姫のコピーで、
  「ひとりきり」
  「加茂の流れに」
  「たぬきばやし」
  「約束です」
  「この秋に」
  「おもかげ色の空」
  「妹」
 当日は歓迎されるはずの新入部員よりも、集まってきたOBの方が圧倒的に多く、なんだか同窓会パーティーの様相を呈していた。
 二人の演奏であったが、曲によりボーカル、コーラス、リード、サイドを組み合わせた工夫を凝らしたアレンジが功を奏して、非常に受けたのだ。ハハハハ。
 (真相は録音したカセットテープが物語る。)