音楽部

 2年の2学期ともなると3年生は部活から引退し、2年生の天下となる。
 墜落事件がきっかけで、K君、I君と仲良くなり、K君が所属していた剣道部とI君が所属していた卓球部に、しばしば遊びでまぜてもらった。
 同じ部活でも団体競技の野球部とこれらの個人競技の部では全く様子が違う。

 野球部では、ランニングからはじまり、準備体操、キャッチボール、素振り、シートノック、ベースランニングと同じメニューを全員が同じペースで行うのが当然だった。
 そこには個人差が入り込む余地はなく、体力的に劣っていたり、体調を崩している部員にはもう苦しいばっかりなのだが、「根性」とか「忍耐」という言葉ですべては封印されていた。

 また、ある日突然、二年生が一年生を並べて
 「おい一年、おまえらたるんでるぞ」
 と、具体的に何が悪いのかなんの説明もなく、二年生全員が一人一人の尻をバットで叩いていく<ケツバット>が実施され、痛がる一年生を三年生がにやにや見ているという陰湿な行為がまかり通っていたのだ。

 しかし、剣道部や卓球部にはそんな空気は微塵もなく、おのおのが勝手に練習をはじめ、飛び入りのニシジマ君の相手をし、時間が来たら片付けて帰るという、自由で気ままな雰囲気があった。
 同じ運動部でもこんなに違うのかと、野球部しか知らなかったニシジマ少年は一種のカルチャーショックを受けていた。

 年が明けて2月、音楽の先生から音楽部に入らないかと誘いを受けた。
 夏のNHK合唱コンクールに向けて男子部員第一次補強であった。
 当時、女子は40人を超えていたが、男子は2人しかいなかった。
 どうしてニシジマ少年が誘われたかというと、先々代の音楽部部長の弟だったからだ。

 ここで、部長だった2才年上の姉の話を少しすると、1才で赤ちゃんコンクール優勝(市内の赤ちゃんで一番でかい)。
 小学3年のとき、同じクラスの外国人男子を牛乳瓶で殴るという「ロバート事件」を起こす。
 小学6年のときは市の健康優良児代表(市内の小学生で一番でかい)となり、運動会では応援団長になった。
 とにかく弟から見ると、でかくて強くて恐い存在だったのだ。
 (これを読んだら怒るだろうなぁ)

 <野球部から音楽部へ>
 土と埃のグランドからグランドピアノがある音楽室へ。
 <野球部から音楽部へ>
 汗が滴るグラブから音符が踊るスコアへ。
 <野球部から音楽部へ>
 野次と罵声の男の集団から歌声と嬌声の女の園へ。
 同じ部活でも、これほどまで対極に位置する部はあるだろうか!!

 しかし、当時は深く考えることもなく、ニシジマ少年は誘われるままに音楽部への入部を決めたのだった。