ピアノ

 高校生のときは小学校の教師になるという夢があった。
 小学校5〜6年の時、担任の先生にあこがれていたことがあり、中2の担当の先生には個人授業でお世話になったこともあり、中3の担任には音楽部の顧問としても強い影響力を受けていた。
 いまでもそうだが、当時の自分も突出した特技や能力や熱中できるものがないどこにでもいるような平凡人だった。
 とりあえず体育も音楽も美術もそこそこできた。
 成績も高2の1学期は上から1/3位のところで、そこそこついていった。
 自然と全ての科目を教える小学校の教師がいいかなぁと思っていた。
 勿論、音楽も図画工作も担当するつもりだった。

 当時、楽譜は多少読めた。
 ギターもそこそこ弾けるようになっていた。
 しかし鍵盤楽器は殆ど触ったことがない。
 音楽の授業を持つにはピアノが弾けたほうが良いのではないか。
 いやむしろ必須条件ではないか。
 生徒と交流を深めるには音楽は外せない。
 合唱部の顧問になるのも夢だった。
 それならピアノが弾けなければ。
 ピアノが弾ける男の先生。
 ギターが弾けるよりも知的な感じだ。
 谷村新司よりも小田和正の方が知的な感じがするのはピアノ弾きのイメージが貢献しているのではないか。

 ギターもピアノも弾けて合唱指導ができる男の先生。
 音楽的知性がにじみ出ている先生。
 うーんカッコイイ。
 生徒のみならず、女教師にもモテモテの先生。
 よしこれだ。
 これでいこう。

 母親に小学校教師の進路希望を告げ、音楽授業の大切さを話し、その為にはピアノを習うしかないと至極正しい論理展開で切り出した。
 いま考えると、ピアノなんて脇目を振らずちゃんと進学できる学力をつけておき、大学に入ってからはじめるのがよかったと思うが、頭の中は「女教師にモテモテ」しかなかった。
 (なんたって女教師コンプレックスの16才だったのだ)
 小学生のとき終戦を迎えた母の世代は中学高校と食べるのにも苦労していて合唱だピアノだなんて考えることすらなかった。
 あれからつつましいながらも生活は豊かになり、自分の子供には好きなことをやらせてやろうという気持ちが強かったのだろう、すんなりOKが出た。
 それも母が入会しているキリスト教の教会仲間のピアノ教師を紹介してもらいすぐに週一回通うことになった。
 また母親のつてで中古のオルガンが我が家に搬入された。
 月謝は6,000円
 そのピアノ教師は遠矢先生といい、二人の子持ちのお母さん。
 先生の生徒は10名程で幼稚園児から大学生まで様々であった。
 「あなたのお母さんとは知り合いだけど、なあなあで教えるのではなくちゃんと月謝をとってしっかり指導します。」
 (うっ!!厳しそう・・・)

 この先生はドイツ系のバイエルではなくフランス系のメトードローズを入門用テキストとして私に渡した。
 「西嶋君はどんな曲をやりたいの?」
 気分は小田和正だったので、
 「伴奏しながら歌えるような曲をやりたいです。」
 と答えた。
 「わかりました。」
 後日、先生から受け取った副教本を持って帰り、中古のオルガンに向かって大声で歌いながら練習していると、中1の弟が後ろで笑い転げている。
 「うひゃひゃひゃ。兄ちゃんなにそれ。」
 「うるさいなぁ。人が一所懸命やってるのに、笑うんじゃない。」
 「うひゃひゃ。かぶ・・ひっひっ。かぶとむしっひっひ。かぶとむしがきょうだいひひひ。」

 先生がくれた副教本は幼稚園児を相手にしたかわいらしいイラストが載っている楽譜でタイトルは
 「かぶとむしがきょうだいで」
 だった。
 歌い始めも
 「♪かぶとむしーがー、きょうだいでーェ」
 となっていたのだ。


 ようやくこのコーナーのタイトルを説明できる章にたどりつきました。
 小学生だった時の娘はこの教本を見つけ
 「何これ〜。おとうさんこんなの弾いてたの?」
 とおもいっきり笑ったのでした。
 (来年彼女は中学校卒業式の大地讃頌のピアノ伴奏担当)

表紙
ピアノで語る音楽シリーズ
中村佐和子[作曲]
発効日1975/10/20
1,300円
(C)Ken Nishijima 2003.12